熱田神宮周辺を探索する 南部編 名古屋市熱田区
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
折角の夏なのですが、残念ながらスケジュールの関係で遠出が出来ず・・・・。
今回は名古屋市内、先日参拝した熱田神宮の周辺を探索して遊ぼうと思います。
旧東海道と熱田神宮
本日のスタート地点はここ・・・・。
熱田神宮の南をはしる東海道です。
写真奥のクニャっと曲がっているあたり・・・・古くからある道の証ですね。
現在は住宅街になっていますが、ちょこちょこと古い建物が残っています。
造りを見るに恐らく昔は旅館だったのではないでしょうか。
いろいろ調べたところ神宮周辺には数多くの寺社仏閣、そして史跡がある様でとても楽しみです。
では張り切って行きましょう!
神明社
最初はこの神明社、スタート地点近くにあります。
特別大きな神社という訳ではありませんが、境内には道標が残っています。
「左 江戸道」全国各地で江戸に続く道は江戸道と呼ばれていたそうです。
「右 知多部新道」知多街道を示す道標です。
当時は境内にあった訳ではなく、恐らく東海道沿いに建てられていたと思われます。
桶狭間の合戦について書いた折・・・・当時から知多半島と陸路と海路両方で繋がっていて、その陸路の要衝だった大高周辺が合戦の発端だった事を知りました。
知多半島への陸路は熱田神宮周辺から伸びたいたのかも知れません。
旧道の歴史を考察するのもとても面白いですね。
こちらの神明社はかつて天道社と呼ばれ、「おてんとうさん」と庶民から崇められていたそうです。
ご神体は「お日待碑」だそうで、現在は社殿の下に埋められているとのことです。
昔は東海道沿いで熱田神宮付近ということで多くの参拝客が訪れていたのかも知れませんね。
早く戦争が収まりますように・・・・。
魅力的な木ですね!
裁断橋・姥堂と都々逸発祥の地碑
東海道沿いです。
神宮の宿場町の東の外れに流れていた精進川にかかっていた橋・・・・小田原の合戦で死去した堀尾金助を供養する為に母親が東海道筋に架け替えたという橋なのだそうです。
この橋の擬宝珠に刻まれた文碑が有名なのだそうで、現在擬宝珠は名古屋市博物館に保管されているとのことですよ。
仮名文字で書かれた銘文は母が子を思う名文として、橋を渡る旅人に多くの感銘を与えたそうです。
どんな文章なのでしょう、是非とも読んでみたいものです。
姥堂は「おんばこさん」と昔から安産、子育て、家内安全の仏として親しまれ信仰されてきた本尊姥象を納めたお堂のことで、現在はここの二階が姥堂になっています。
姥像は元々熱田神宮にあったものだそうで、その事から日本武尊の母説をはじめ多くの説があるそうです。
残念ながら戦災で焼失してしまったそうですが、古文書や古地図で早くからその存在が知られていたとのです。
橋の隣には都々逸発祥の地碑。
なにかドイツと関係があるのかなと思いましたが、全く関係ありませんでした。
ドイツは「独逸」ですものねぇ。
寛政12年に開店した鳥飯屋という茶屋にお亀とお仲という美声で有名な女子衆がいたそうで、「ドドイツ、ドドイツ」という節回しの歌で評判を得たとのことですよ。
何でしょう、今で言う人気を博したCMソング的な感じでしょうか?(笑)
鈴之御前社
裁断橋の横、こちらも東海道沿いです。
風水に反して北側に鳥居がある、珍しい造りですが・・・・元はここより少し北側にあり普通に南向きの造りだったそうです。
地図上で見つけた時から名前が気になっていました。
調べたとことこの神社は熱田神宮の祓所なのだそうです。
祭神は不明ですがどうやら二つの説がある様です。
一つは雨細女神・・・・アメノウズメといえばペルソナ1でのセクシーダンス!!(古)
岩戸に隠れてしまった天照大神を踊りで誘き出した話は有名ですね。
古来より鈴の音には邪気を祓う力があると信じられ、神事の舞では鈴を使います。
芸能の女神を祀り鈴の舞でお祓いをしていたということですね。
もう一つは瀬織律比売・・・・罪や穢れを川から海に流す女神です。
前述の通り、かつてこの付近には精進川という川が流れていました。
現在では熱田神宮の境外末社となっており、神宮の神職が神祀を取り行っているそうです。
毎年7月31日に行われる芽の輪くぐりが行われるそうですよ。
早く戦争が収まります様に・・・・。
祓所という存在を初めて知りました。
次回熱田神宮を訪れる際は、是非ともここで身を清めてから行きたいです。
徳川家康幼時幽居地
東海道を少し南に外れます。
現在は建物はなく公園になっています。
かつては加藤図書助屋敷あり、ここに人質となった幼い家康が住んでいたということです。
幽居という言葉に哀愁を感じますね。
家康はこの後駿河今川氏の人質となります・・・・。
道標とほうろく地蔵
東海道を道なりに熱田神宮側に進んでいくと・・・・。
住宅地を抜けて古くからあるであろう商店街に入ります。
昔ながらの商店街の宿命か・・・・やはりお店の数は少なめです。
そんな商店街を抜けると・・・・。
道標があります。
西や南は分りますが、残念ながら肝心の行き先は読む事が出来ません。
ですがここから北を見ると・・・・。
ちょっと写真では見難いですが、熱田神宮正面の大きな鳥居が見えます。
ここが東海道と熱田神宮の交差点です。
道標の道を挟んだ反対側には・・・・。
ほうろく地蔵があります。
どうやらこのお地蔵様、三河の地に捨てられていたそうなのです。
それを焙烙屋が荷台の重し代わりにしてこの地に運んで来たのだとか・・・・。
それを見つけた人がこの地に安置しようとすると、地面の中から地蔵の台座らしき物が見つかったという伝承が残っているそうですよ。
蓬莱軒神宮店
熱田神宮までやって来ました!
本日は土曜日、沢山の参拝客がいますね。
その鳥居の真前にあるのはひつまぶしで有名な蓬莱軒の神宮店、列が出来ています。
残念ながらワタクシ、蓬莱軒のひつまぶしを食した事がありません・・・・。(泣)
是非ともいつの日かっ!!
松姤社 (熱田神宮境外摂社)
熱田神宮と東海道の間をはしる国道一号線沿いにあります。
何度も前を通っている筈なのですが、この神社の存在を見落としていました・・・・不思議です。
今回の探索の目的地を集めるべく色々な手段を用いて調べたのですが、この神社はGoogleマップで「熱田区神社」と検索をかけたら出てきました。
非常に気になる「熱田神宮境外摂社」というワード・・・・残念ながら調べても全く分かりませんでした。
摂社の「摂」は摂政の「摂」・・・・何か宗教的なものを神宮に代わって代行したり支えたりしているのでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたら、是非ご教授お願い致します。
まつごじんじゃと読みます。
この「姤」という字、本来は「ご」とは読まず「こう」「く」と読むそうで中国語では素晴らしいという意味を持つそうです。
神社を廻るようになって読めない漢字によく遭遇します。
PCで記事を書く時にとても苦労します。(笑)
境内は細長く奥の方に続いています。
日当たりも良くとても気持ちの良い神社です。
周りは全て民家になっています。
熱田神宮もすぐ隣・・・・こんな場所に住めたら幸せですね。
早く戦争が収まりますように・・・・。
調べたところこの神社もかなり謎が多いようです。
興味は尽きませんが、先に進むことにしましょう。
景清社
ここから更に南下、堀川沿いを目指します。
平家没落後、平家の侍大将の子景清は縁あってここ熱田に身を寄せたそうです。
後年景清は眼病を患い失明したという伝説があり、ここ景清神社は眼病に霊験があるとして信仰が篤いのだそうです。
これは何でしょうか?
井戸と・・・・浄水器・・・・かな???
早く戦争収まりますように・・・・。
蓬莱軒本店
景清神社周辺は商店街になっています。
商店街の看板は蓬莱軒一色です。(笑)
本店も大繁盛、行列が出来ています。
店の裏側・・・・鰻を焼く匂いが本当に食欲をそそります。(笑)
熱田湊
堀川に到着です。
川沿いが公園になっています。
この堀川は人口の運河でして、上記の精進川はこの運河工事で無くなったとの事です。
そして、かつてここには港がありました。
熱田神宮から直線距離わずか1kmのこの場所に港があったのです。
桶狭間の合戦の記事でも紹介しましたが、昔の海岸線は現在よりかなり内側にありました。
名古屋市港区や南区あたりは殆どが後年の干拓地なのです。
現在は「七里の渡し船着場跡」として残っています。
ここから三重県の桑名まで海上七里の航路があったそうです。
こちらは「時の鐘」です。
当時は時間を知らせる鐘が鳴っていたのでしょう。
そしてこちらが「熱田湊常夜灯」です。
「時の鐘」と「常夜灯」、こうして港湾施設を眺めていると当時の活気が伝わってくる気がします。
松尾芭蕉やシーボルトもこの港を利用したとの事ですよ。
現在の海岸線、名古屋港はこの先にあります。
ここを訪れるのは二回目、前回はあそこにカモメの群れがいましたが・・・・本日は少々寂しいです。
道を挟んだ北側には熱田荘が残っています。
この辺り一帯は宿場町だったそうです。
此方の熱田荘は明治時代に料亭として建てられ、太平洋戦争時は三菱の社員寮・・・・。
そして現在はグループホームになっています。
歴史的建造物を史跡として残すのも良い事ですが、現役の家として使うというのはとても素敵な事だと思います。
軻具突智社
堀川沿いで偶然見つけました。
川に架かる橋の袂の狭いスペースですが、存在感があります。
かぐつちと読めますが、火の神カグツチ神かな?
調べた所やはり祭神は火之迦具土神との事です。
珍しい神社に出会えて良かったです。
早く戦争が収まりますように・・・・。
熱田魚市場跡
軻具突智神社に寄り道しましたが、目的地はここです。
室町時代にはここ周辺で魚市場が開かれていて、織田信長の居城清洲城にも運ばれていたとの事ですよ。
現在は公園になっています・・・・あれはっ!?
此方の公園には良くある滑り台、ワタクシが子供の頃は富士山滑り台と呼んでいました。
二つ合体した連峰みたいなタイプは珍しいです!(笑)
秋葉神社と水天宮
魚市場跡周辺には連続して三つの秋葉神社が並んでいます。
南から一つ目。
二つ目。
三つ目・・・・秋葉社は沢山あるイメージですがこうも集中的にあるというのは珍しいのではないでしょうか?
魚市場と何か関係があるのでしょうか?
三つ目の秋葉神社はかなり感じが違いますね。
その三つ目の秋葉神社の隣には水天宮。
岐阜のグランドキャニオンを登った時に見ました、人生で二度目です。
調べた所名古屋市内唯一の水天宮なのだそうです。
境内にはお社がふたつあります。
早く戦争が収まりますように・・・・。
熱田神宮を参拝した折に、周辺も色々興味深いものがありそうだなと感じたところからスタートした今回の探索・・・・この後西部と北部を廻ります。
南部だけでも興味深い物がたくさん見つかりました。
少々長くなりましたので一旦区切りたいと思います。
次回に続く?