戦没者を祀る神社 名古屋市中味鋺忠魂社
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
先日参拝した物部氏を祀る味鋺神社、その地図を見て気になる神社を見つけました。
西八龍神社の北にある中味鋺忠魂社、忠魂というと幕末以降の戦没者を祀っているという印象です。
恐らく物部氏とは関係ないと思いますが、地域名が神社名にもなっていますし・・・・何かどうにも気になったので参拝しに行ってみます。
中味鋺忠魂社
この雰囲気・・・・。
陸軍大将の名が刻まれた社標。
立派な鳥居と、
立派なお社です。
此方は何でしょう。
何か文字が刻まれている様には見えませんが・・・・。
お社の後ろ、境内最奥に忠魂碑。
どうぞ安らかに・・・・。
隣の家と繋がっている様に見えます・・・・何とも不思議な空間ですね。
Googleマップのクチコミには「地主さんが戦没した息子を祀ったのだろうか?」というコメントがありました。
ワタクシも同じ印象を持ちましたが、それでも陸軍大将の名前もありますし・・・・個人なのかな?
戦友会等のグループが建立した・・・・とか?
ありがとうございました。
帰宅後調べました。
創建年は1940年、太平洋戦争開戦前という事ですね。
元々は岡田家の邸内にあったのだそうです。
この地に移されたのが1949年、この時に岡田家内の戦没者の私的な慰霊から多くの戦没者の公的な慰霊に変わったのではないでしょうか?
境内には三つの神道式の墓碑があり岡田家の戦死した三名を祀っているのだそうです。
これは何だろうと思った、あの墓石の様なものが神道式の墓碑だったのですね。
残り二つは草木に埋もれていたのか・・・・ワタクシは気が付きませんでした。
神社が建てられてる小山の様な地形、もし元からなのだとしたら付近に100基以上あったという古墳の上に建てられているかもしれないとの事です。
幕末以降建てられ始めた忠魂碑・・・・特に日露戦争後に全国各地で数多く建てられたそうですが、現在はその殆どが神社の境内に移されているそうです。
ですからこの中味鋺忠魂社の様に、独立した神社になるというのは稀なのだとか・・・・。
自覚は全くありませんでしたが、ワタクシがこの神社が特別気になった理由は多分これなのでしょう。
神社の境内にある”忠魂碑”は何度も見ていますが、”忠魂社”という単語には今回初めて出会いました。
神道式の墓標も今回初めて知りました。
多くを学ばせて頂いた参拝になりました。
神社の整備は片手間で出来る様な楽なものでは無いでしょう。
今も岡田さんが整備されているのかどうかは分かりませんが、この戦没者を慰霊する貴重な神社がいつ迄もこの地にある事を心から願っています。
皆さんの町にはどんな神社がありますか?