ふらっとミニベロ紀行

東洋一の大運河を走る 名古屋市中川運河

東洋一の大運河を走る 名古屋市中川運河

 

皆さん、お疲れ様です。

アヒルノヒカリでございます。

本日は久々に名古屋港にやって来ました。

子供の頃に祖母や友人と何度か遊びに来た名古屋港・・・・。

ここにくると何だか懐かしい気持ちになります。

さて・・・・本日はここ名古屋港からスタートし、かつて「東洋一の大運河」と呼ばれた中川運河を巡っていこうと思います。

存在は知っていましたが、端から端まで見て廻るのも詳しく調べるのも初めて・・・・楽しみです。

 

中川口閘門

早速見慣れない港湾施設?が見えます、あれは何でしょう?

答えは造船所でした、小さいですがワクワクしてきます。

赤い鉄橋から名古屋港をパシャ。

この鉄橋・・・・変な橋ですねぇ。

こちら側には赤いアーチが掛かっていません。

今年の春にここを渡った時は工事中でしたので、出来たての新しい橋です。

どんな事情があったのでしょう?(笑)

アーチが掛かっていない方からパシャ、これから進む中川運河側です。

早速水門が見えてます、運河らしくて良いですねぇ。

中川口緑地、運河の岸が公園の様に整備されています。

そして見えている水門・・・・あれが中川口閘門です。

「こうもん」と読むそうです、初めて知りましたよ。

潮の干満差による水位の変化の影響を避ける為に造られたそうです。

緑地公園から閘門を観察する事が出来ます。

運河として使われていた時代には、ここを船が通っていたのですね!

もう少し近づけたらなぁ。(旗)

 

荒子川運河と港北運河

中川口緑地を過ぎると運河の両岸はびっしりの建物、運河を見ながら走る事は出来ません。

製造業、運送業、そして倉庫と・・・・殺風景ですが運河らしい風景です。

ここで中川運河から二つの小さな運河が枝分かれします。

「荒子川運河」と「港北運河」です。

橋の上から荒子川運河をパシャ、先ずは此方から廻ってみましょう。

・・・・と言っても両岸は運送会社や倉庫で埋め尽くされており、運河を見ながら走る事は出来ません。(泣)

運河の端・・・・人工物ですから四角くスパッと終わっています。

何だか新鮮な景色です。

向かって右側はマンションですから・・・・ちょっと失礼してどんな風に終わっているか見てみましょう。

マンションの駐輪場からパシャ。

本当にゲームのシムシティみたいに四角く終わっていますねぇ。

遠くてはっきり見えませんが、真ん中の色の違う部分だけ水面がトンネルの様になっている・・・・のかな?

昭和30年にこの先の荒子川と中川運河を接続する工事が始まったものの、途中で計画中止になったそうです。

調べても情報が見つかりませんでしたが、もしかするとあの色の違う部分が工事の名残りなのかも知れませんね。

続いて港北運河です。

向かって左側は工事中、右側はゴルフの打ちっ放し・・・・。

ゴルフの打ちっ放し前は運河沿いに歩ける様になっています。

対岸も歩ける様に工事しているみたいで・・・・この先に「ららぽーと名古屋」という新しくて大きなショッピングモールがあります。

そこまで歩ける様にしているのかな?

そして気になるのがコレ・・・・どうみても鉄道・・・・ですが・・・・。

いやいや、こんな所に電車は走っているなんて、見たことも聞いたこともありませんよ?(困惑)

貨物専用???

ゴルフ前の道はここで行き止まりです。

迂回して運河の端を目指します。

港北運河の端はららぽーと名古屋前の広場になっていました。

すごく良い雰囲気です。

産業用の運河の跡地ですが、こういう感じに使うのは素晴らしいアイディアだと思います。

運河の終わりはやっぱり四角形・・・・荒子川運河の様な色の違うトンネルっぽい部分はありません。

やはり工事跡だったのか?

水上バス乗り場、そういえばそんな記事を読んだ様な・・・・。

運河の再利用としては当然出てくるアイディアだと思いますが、まあ人気が出るとは思えませんよね。(苦笑)

・・・・で、どうしても気になるのは運河に掛かるコレです。

ショッピングモールから見えるこちら側だけ塗装されているのが何とも・・・・(笑)

うーん、線路なのか?

何とかもう少し近づけないものか・・・・。

見えたっ!!

どうやらかつては鉄道が走っていた様ですね。

線路はもう撤去された後の、いわゆる鉄道跡です。

スペース的に単線だったと思われます。

運河に接続する貨物線だったのか、それとも客線が通っていたのか・・・・全く分かりません。

しかし市内にこんな景色が、鉄道跡なんて物が残っているとは・・・・生まれも育ちも名古屋ですが初めて知りました。

 

南郊運河

再び運河は枝分かれ、Googleマップに出ている南郊運河ですが工事中で橋の上から姿を見る事が出来ません。

回り込んで端を見にいきましょう。

・・・・。

・・・・ん?

マップに出ている公園まで来たのですが、運河の端が見当たりません。(困惑)

公園の隣は駐車場・・・・地図には出ていませんが、これはスーパー銭湯・・・・なのかな?

!!

おいっ、まさか!?

今ワタクシはそのスーパー銭湯の駐車場にいます。

南郊運河は・・・・。(泣)

Googleマップに出ない程新しい銭湯なのでしょうか?

銭湯のエントランスには黄金の獅子と滝・・・・何というかバブリーな雰囲気です。(苦笑)

駐車場に面した屋外にもテントが沢山張られています。

どうやらテント型のサウナの様です、こんなの見た事無い・・・・アミューズメント的スーパー銭湯??

テントとテントの間・・・・盗撮の誹りを受けそうな危険な場所でパシャ!

奥に微かに運河が見えます。

南郊運河はその役目を終え、ひっそりと街に埋もれました・・・・コレも時代の流れ。(泣)

今回は運河巡りに来たので悲しい気持ちになりましたが、スーパー銭湯としては面白そうな所です。

・・・・「天然温泉」と書かれた看板もありますが大丈夫でしょうか、真下は産業用運河ですよ?(笑)

さて、気を取り直して反対側を見てみましょう。

とても短く名前も表示されませんが、間違いなく運河でしょう。

中川運河は水の無い所、ゼロから造られた運河ですので人間的に無意味ものがあるわけがないのです。

地図的には隣ですが、付近に橋が無い・・・・そこそこ遠回りになりました。

やはり完全なる人工物ですね。

そして運河の端より気になるのがコレです。

地図に表示されていないコレ・・・・コレも鉄道ですよねぇ。

先程のものと同じく線路は撤去されているのでしょう、高架橋の上には・・・・ソーラーパネルでしょうか?

確認する術はありません。

草に埋もれかけた看板を発見!

やはり運河ですね、小碓運河・・・・コウスと読むのでしょうか?

漢字で検索をかけましたが、この運河の情報はありませんでした。

そして気になる高架橋。

名古屋駅の方角から伸びてきて・・・・。

街中でスパッと消えています。

もう片側はどこまで伸びているのでしょう?

貨物線跡なのでしょうか?

全く情報はありません。

市内に知らない廃線がこんなに残っているなんて!(驚)

シムシティならお金を払うだけでドカンドカンと撤去できますが、現実世界はそう簡単ではありませんよねぇ。(笑)

小碓運河端から南郊運河側をパシャ。

奥の暗がりが南郊運河です・・・・。(泣)

・・・・さあ、先に進みましょう!

 

旧国鉄笹島貨物駅

整然と並ぶ倉庫が綺麗ですね。

中川運河はここで二手に分かれます。

右が堀川、名古屋城側・・・・そして左が名古屋駅側です。

先ずは左、名古屋駅側に進みます。

向こう岸は公園の様になっています、右へ行く時はあそこを通ってみましょう。

上流まで来ると景色は一変、両岸を埋め尽くしていた倉庫や工場はなくなり天然の川の様です。

ですが運河なんですよね、運河橋。

運河橋の上からパシャ、端まで来ましたよ。

ビル群と高速道路の中・・・・まるで公園の様。

ちょっとした滝もあったりします。

あの塔は確か中京テレビだったはず・・・・。

今では市民の憩いの場、都会のオアシスの様になっています。

このすぐ先に笹島ライブと呼ばれるホテル、ショッピングモールや映画館などが集まる場所があります。

その場所こそがかつて国鉄笹島貨物駅があった場所なのです。

そこに集まる大量の物資を名古屋港に運び国際的な貿易港をつくる、その物資運搬の為に造られたのが中川運河だったのです。

今では憩いの場になっているこの場所が中川運河の出発地点、現在のこの景色もなかなか良いものですが・・・・当時の景色はどんなものだったのでしょうね。

 

松重閘門

さあ、中川運河を巡る旅もあと僅か、名古屋城側に行ってみましょう。

先程の公園ですが・・・・自転車侵入禁止!?

うぬぬぬ・・・・。

運河にかかる橋の上、中川運河のプレートが付いていますね。

隣は鉄道・・・・名古屋駅からの名古屋鉄道にJR、そして新幹線が通っています。

その橋から進行方向をパシャ、ゴールが見えてきました。

川に見えますがやはり運河、何だか興味をそそる人工物が満載です。

そして・・・・。

本日の終着地、松重閘門です。

なんとも洒落た建物ですね。

現在は封鎖されていますが、かつてはこの水門を船が行き来していました。

「東洋のパナマ運河」と書かれています。(笑)

馬鹿にするつもりは一切ありませんが、しかしパナマ運河とは・・・・(笑)を付けざるを得ません。

中川運河はこの水門を挟んだ堀川から水を引いて造られました。

堀川側からパシャ。

堀川も人工の運河ですが、その歴史は古く名古屋城築城の資材運搬の為に造られた運河です。

当然規模が小さく近代的な物資運搬に耐えられるものではありません、そこで新たに造らたのが中川運河です。

水を引くわけですから当然堀川の方が水位が高い、そこを船で行き来する為に造られたのがこの松重閘門です。

ですから目的や仕組みはパナマ運河やスエズ運河と同じではあります。

この松重閘門、夜間はライトアップされるとの事・・・・。

時間を改めてやって来ました。

改めて夜間見ても美しくてお洒落な建造物ですね。

洋式のこの建造物から建造当時の意気込みが伝わってきます。

そう、中川運河はパナマ運河のような立派な近代的運河を目指して造られたのです。

役目を終え街の景観の一部になった運河、埋もれてしまった運河、そして未知の鉄道跡と面白いものを沢山見る事が出来ました。

ありがとうございました。

 

最後は少々茶化すようなことを書いてしまいましたが「東洋のパナマ運河」、とても意味深な言葉です。

思い浮かぶのはやはり「東洋のネルソン」でしょう。

世界の海戦史にその名を刻む日本海海戦、その大勝利の立役者・・・・東郷平八郎の異名ですね。

小学生の時に東郷平八郎を知りましたがホレーショ・ネルソンは知りませんでした。

当時「ネルソンってだれ?なんか失礼じゃないか?」と思ったものです。

ネルソン提督とトラファルガーの海戦を知っても尚、戦果は日本海海戦の方が上じゃないか思いました。

ネルソン提督は戦死しましたが東郷提督は生存していますしね。

それでもネルソン提督が「西洋の東郷」などと呼ばれることは絶対にありません。

近代史とは欧米主体の歴史なのです。

世界中に植民地をつくりまくった欧米人主観の歴史なのです。

「東洋のネルソン」とは欧米人が東郷平八郎を上から目線で評した言葉です。

「東洋のパナマ運河」はどうなのでしょう。

ワタクシにはこの規模の運河を欧米人が「パナマ運河」に例えるとは、皮肉であってもあり得ないと思います。

情報はありません、ワタクシの独断ですが・・・・日本人又は名古屋人の自称ではないでしょうか?

もしそうなら・・・・なんとも卑屈な話ではありませんか。

「東洋のパナマ運河」・・・・当時の日本人やアジア人の感情が窺い知れる言葉だと思います。

欧米に対する羨望の眼差し、畏敬の念、そして少々卑屈で溟めの対抗心・・・・そんな感情が入り乱れ、溢れています。

「東洋一の大運河」という言葉も・・・・。

大きさではなく近代的なという意味でしょうが、それでもこの規模で・・・・。(泣)

いかにアジア諸国が近代化に遅れていたのかが分かります。

西洋一の大運河はパナマか、それともスエズか?

当時日本も列強の一角に位置していたのですが・・・・この圧倒的な国力の差!

中川運河は1926年(大正15年)起工し1930年(昭和5年)に竣工します。

その11年後の1941年・・・・この圧倒的な国力の差、東洋一の中川運河と西洋一のパナマ運河の差が埋まる事なく太平洋戦争に突入します。

なんとも儚い話です。

中川運河は戦後も物資を運搬し復興や経済成長を支え続け、1968年(昭和43年)にその役目を終えました。

こうして運河の歴史や建造当時の意気込みなどに想いを馳せてみると・・・・現在では無用の存在だという事は百も承知です。

承知なのですが・・・・。

やっぱり真上にバブリーなスーパー銭湯はやめて欲しかったな・・・・そう思います。

 

皆さんの町には運河はありますか?

 

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