天神さまと梅の花 名古屋市中切天神社
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
梅の花の季節ですね。
今年も梅の花を見に天神さまを参拝しに行ってきます。
中切天神社
今回選んだ天神さまは名古屋市北部にある中切天神社です。
・・・・。
今年は暖冬という事もあり既に色々な場所で満開の梅の花を見ました。
もしかしてちょっと遅い?
一抹の不安と共にミニベロでのんびり向かいます。
創建年 不明
旧社格・等級等 無格社・十五等級
祭神 菅原道真公
天神社といえばコレですね。
周りは平坦な住宅地・・・・この神社だけが高台の上にあります。
何でも昔はこの辺りに矢田川が流れていて、中切天神社は堤防の上に立っていたそうです。
とても水害が多い地域だったそうで昭和5年から7年にかけて矢田川の付け替え工事が行われ、ここより北側の現在の位置に流路が変えられたとの事です。
それでこの中切天神社は当時の堤防ごとここに残されたのだそうですよ。
あっ。
遅かった・・・・。
やってしまいました・・・・うーん、梅の開花情報をしっかり調べておくべきでしたね。(泣)
あまり下調べをしないワタクシなのです。
まだわからんのかぁぁぁっ!!
いや・・・・それでも綺麗なピンク色ですよね。(焦)
さ、さあ・・・・かつての堤防を上がって天神さまを参拝しましょう。
小さな手水舎、水は出ていません。
あぁぁ、此方の梅はもう殆ど散ってしまった後ですね。(泣)
あれ・・・・この神社、鳥居が無い?
すごく目立たないですが・・・・社標はありました。
震災地は戦災地が早く復興しますように・・・・。
境内には立派な木が立っています。
此方はイチョウの木、立派ですね。
上から梅の花をパシャ。
梅の枝振りって独特ですよねぇ。
・・・・。
ここは本当に天神社??(困惑)
あの鮮やかな朱色は全くありません。
使いの牛もいません、筆塚もありません。
めちゃくちゃモノトーン・・・・なんだか受験に合格出来そうな明るい雰囲気が全然ありません。(笑)
これはミステリーの気配・・・・是非とも詳しく調べてみましょう!!
天神さまとは?
天神さま=菅原道真公=学問の神様、これは常識です。
常識過ぎて今まで何の疑問も持ちませんでした。
しかし調べた結果、天神さま=菅原道真公=学問の神様では・・・・ありませんでした!(驚)
本来の天神とは、国津神に対する天津神を表すもので特定の神の名前ではなかったそうです。
天照大御神も素戔嗚尊もみんな天神さまだったという事ですかね。
そして時は平安時代・・・・菅原道真は藤原摂関家の陰謀によって失脚、太宰府に左遷されその地で没しました。
これは学校の授業で習いますね。
しかしその後の出来事は習いません。
菅原道真没後、日照りが続き疫病が流行り当時の天皇である醍醐天皇の皇子が相次いで病死しました。
更に清涼殿に雷が落ち多数の死傷者が出ました。
朝廷は菅原道真の祟りだと恐れ慄き、道真の怨霊を鎮めようとしました。
怨霊と聞いても令和に生きるワタクシたちはピンときませんが、日本史上での怨霊とは物凄く強大で恐ろしい存在なのです。
日本史上最大の怨霊は崇徳上皇です。
明治天皇が即位の際に隠岐に勅使を遣わしたり、昭和天皇が崇徳天皇八百年祭に崇徳天皇陵に勅使を遣わしています。
昭和天皇が勅使を遣わしたのは昭和39年・・・・1964年の出来事ですよ!?
1964年・・・・東海道新幹線開通、そして東京オリンピック開催の年ですよ!?
日本での怨霊というものがどれ程の存在なのか、ワタクシたちでも少しは想像出来るのではないでしょうか。
さて、平安時代当時の朝廷は落雷が起こった事から菅原道真の怨霊は雷神だと判断したそうです。
それで京都の北野の地に火雷神という地主神が祀られていたことから、この地に北野天満宮を建立して道真の怨霊を鎮めようとしたとの事です。
これで菅原道真は神格化され天神さまになった、天満宮=天神さま=菅原道真公になった訳です。
ですが、学問の神様ではなく雷神様・・・・しかも怨霊だったのです。
当時は天満大自在天神、日本太政威徳天と呼ばれ恐れられていたそうですよ。
死後の諡に「徳」の字が入るのは大体訳ありです・・・・そう、合格祈願どころの存在ではなかったのです。
平安末期から鎌倉時代になると怨霊として恐れられることは少なくなったそうで、慈悲の神、冤罪の神、芸能の神、海難除けの神、そして皇族や武家からは怨敵調伏・戦勝祈願の神として信仰されたそうです。
・・・・まだ学問の神ではありません。
天神さま=菅原道真公=学問の神様になるのは、なんと江戸時代になってからだそうです。
寺子屋で信仰されたのが始まりなのだとか・・・・道真が没して神格化されてから随分後の話なのですね。
中切天神社に祀られているのは?
ここからはワタクシの妄想戯言です。(笑)
もしこの中切天神社に祀られているのが学問の神としての菅原道真公ではなく、雷神としての菅原道真公だったとしたら?
それなら鮮やかな朱色が無い事も筆塚が無い事も説明がつきます。
梅の花は飛び梅伝説・・・・太宰府に追放された道真を追いかけた梅の花の伝説から来ているので雷神菅原道真とセットでもおかしくはありません。
使いの牛も同じく太宰府に追放された道真を悲しんで鳴いた牛の伝説からなのであっても良いのですが、ここは分かりません。
天神社と梅の花、天神社と使いの牛がいつセットになったのか・・・・その時差があるのかもしれません。
そして日本の神々は和魂、荒魂という二つの顔を持っています。
雷神ならば恵みの雨をもたらす豊穣神と水害をもたらす荒神の二つの顔です。
ここ中切町は水害が非常に多い地域でした。
水害をもたらす荒神、雷神菅原道真公を大切に祀って徐疫を・・・・水害が起きないよう願った。
梅の花から少し話が逸れてしまいましたが、こんな考察は如何でしょうか?
詳しく調べる為アヒルノアジトに帰投途中、興味がまさりコンビニに寄って缶コーヒー片手にスマホで天神さまについて調べまして・・・・元は雷神だったということを知りました。
その後の帰り道で空が暗くなりパラパラと少しだけ雨が降ってきました。
風が強くところにより雨がぱらつくかも・・・・という天気予報は知っていましたが、何となく・・・・。
雷神菅原道真公が「小僧、よく気がついたな!」などとイヂリに来て下さった、そんな不思議で楽しい体験をしましたよ。
皆さんの身近に不思議な雰囲気の神社はありますか?