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熱田神宮・・・・ではなく熱田神社 名古屋市熱田神社、熱田社

熱田神宮・・・・ではなく熱田神社 名古屋市熱田神社、熱田社

 

皆さん、お疲れ様です。

アヒルノヒカリでございます。

何か面白そうな神社はないかと地図と睨めっこ・・・・ん、熱田神社?

熱田神宮からそこそこ距離がある場所に・・・・熱田神社。

熱田神宮と何か関連があるのでしょうか?

早速行ってみましょう!

 

熱田神社

灼熱地獄の中やって来ましたが・・・・公園!?

奥に鳥居が見えます。

熱田公園、というわけではない様です。

・・・・。

なんだか公園の一角が神社といった雰囲気です。

ですがここは神社、神社の境内が公園になっているという表現が正しいのでしょう。

このボールが良いですねぇ。

「明日も遊ぶからここに置いていこうぜ〜。」みたいな感じでしょうか。(笑)

この神社には社標がありません。

創建年 不明

旧社格・等級等 不明

祭神 不明

熱田神宮から西に直線距離で1.7kmの場所です。

狛犬な口が赤く塗られています。

戦災地、震災地が早く平和になりますように・・・・。

「皇紀二千九百年記念」と刻まれています。

さて、帰宅後調べたのですが・・・・全く情報が見つかりませんでした。

祭神まで不明というのは一体どうゆう事なのでしょう・・・・。

昭和に建てられた新しい神社か、もしくは個人が祀ったいた神社なのかも知れない・・・・という記事を見つけました。

本当に詳細不明の神社の様です。

”熱田”という名称から古くて由緒正しい神社なのかと思い込んでいましたが、こんな事もあるのですねぇ。

「神社の境内が公園という表現が正しい」と上記しましたが、もしかすると本当に「公園の一角が神社」なのかも知れませんね。

この神社を調べている時に、ここ名古屋市熱田区には別の熱田社がまだ二つもある事が分かりました。

この二つはどうなのでしょう?

熱田神宮と何か関連があるのでしょうか?

それともこの神社の様な謎神社なのでしょうか?

興味が湧いて来ました。

 

熱田社

日を改めまして、アヒルノヒカリです。

見つけた二つの熱田社、廻って行きましょう!

こちらの熱田社は熱田神宮から南に直線距離で1.1kmの場所です。

こちらも変わったつくりの神社ですね、鳥居が北側を向いています。

いつかの記事でご紹介いたしましたが、神社は風水の思想でつくられています。

風水では気が北から南に流れていると考えられていて、北側の方がより新鮮な気が流れている・・・・ですから本殿が北側、そして出入り口の鳥居は南側にあるのです。

創建年 1713年

旧社格・等級等 無社格・十五等級

祭神 不明

蝉の抜け殻!

夏ですねぇ。(嬉)

隣は公園で・・・・。

猫がいました。(笑)

お社前に鳥居、こちらは南を向いています。

戦災地、震災地が早く平和になります様に・・・・。

苔が生えた立派な木があります。

そして木の上には二羽のカラス、赤い口を常に開けてカーカー鳴いています。

・・・・あれ?

もしかして威嚇されてる??

巣があるのかも知れませんね。

さて、調べたところ此方の熱田社も詳細はよく分からない様です。

そもそも祭神が不明という時点でお察し・・・・ですよねぇ。

 

熱田社

気を取り直してもう一つの熱田社へ・・・・。

熱田神宮から西に直線距離1.4km、国道1号線沿いです。

先程の熱田社と共に旧東海道沿いという事ですね。

創建年 不明

旧社格・等級等 村社・十一等級

祭神 日本武尊

手水社、残念ながら使用できません。

境内は広い・・・・神社といっても良い広さです。

此処ならきっと情報が・・・・見つかりますよね!?

戦災地、震災地が早く平和になります様に・・・・。

奥にお社・・・・大きいですね。

此方にも苔の生えた立派な木があります。

暑いですが・・・・良い天気です。

左側奥に・・・・日本龍神?

「眷属 絹○龍神」、絹の下の字が読めません。

奥には小さなお社。

龍神の象徴である水・・・・かつては池になっていたのでしょう。

日本龍神、とにかく初めて聞きました。

右の奥には二つのお社、秋葉社と天王社。

天王社、此処にもあったのですね!

奥・・・・というか隣は公園です。

神社と公園の組み合わせは好きですが、三社続けてとは・・・・。

帰宅後調べたところ、かつて此処は熱田社ではなかった様です。

江戸時代には三十番神堂があり明治に入ってから熱田社になったとの事です。

こういう経緯は珍しく、名古屋市内では此処だけだそうです。

三十番神信仰とは日本全国の有力神社から30柱の神を集め、一日一柱の神に日替わりで守ってもらうというのもだそうで天台宗の最澄が持ち込んだ信仰だそうです。

持ち込んだ・・・・ということでこの信仰は古代中国の三十日仏名という教えが元なのだそうです。

というわけで元は仏教の教え・・・・神仏習合ですね。

この三十番神堂が明治に入って熱田社に変わった、これは神仏分離令の匂いがします。

熱田社にするなら熱田大神を祭神にすれば良い様な気がしますが、日本武尊が祭神になっています。

熱田や白鳥は日本武尊と縁がありますから祭神に選ばれたのでしょうか?

日本龍神についても調べてみましたが、”日本龍神”という固有名称の龍神は見つかりませんでした。

石碑の”日本龍神”とは日本の全ての龍神を指しているのでしょうか?

 

熱田とは?

今回の三社は熱田神宮とあまり密接な関連はない様です。

ここで疑問が湧きました。

熱田神宮が出来て熱田になったのか?

それとも熱田という地に神宮が出来て熱田神宮になったのか?

今まで考えた事もありませんでした。

調べてみたところ、地名の由来には諸説がある様です。

日本書紀に出てくる吾湯市(あゆち)村がルーツ説。

万葉集に出てくる年魚市潟(あゆちがた)がルーツ説。

古墳時代に東国平定した日本武尊が帰路に尾張に滞在し此処で結婚、草薙の剣を奥さんの所に置いていったそうです。

その後日本武尊が亡くなると、奥さんが熱田を社地に定めて草薙の剣を奉納鎮守したのが熱田神宮の始まりだそうです。

熱田神宮があるから熱田、ではないのですね。

それなら今回の熱田神社や熱田社が熱田神宮と直接関連がなくてもおかしくはありませんし、熱田大が祀られていなくてもおかしくありません。

そして神熱田神宮付近の熱田神社や熱田社だからといって、しっかりした記録が残っているとも限らないわけです。

不思議な感じがしたものの、調べてみたら当たり前の話だったという事ですね。(笑)

 

二つの熱田社ではひたすら蚊に刺されましたよ。

 

ホント、夏ですねぇ・・・・。(苦笑)

 

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