徳興山建中寺 名古屋市建中寺
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
先日の牛頭天王参拝の折に行き着いた建中寺。
突然現れたこの立派な門に驚きました。
今回はこちらのお寺をご紹介したいと思います。
徳興山建中寺
門をくぐると、
中は公園でした。
明るく雰囲気の良い公園です。
まっすぐ公園を進むともう一つの立派な門、あちらがお寺の様です。
水が実に良いですね〜。
慶安4年(1651年)に第2代尾張藩主徳川光友が、父である初代藩主徳川義直の菩提を弔う為に、また、尾張徳川家代々の菩提寺として尾張藩全ての人々の心のよりどころとする為に、下総国結城の弘経寺住持であった成誉廓呑上人を開山として義直の位牌を祀る本堂などが建立された。創建当時は周囲は石垣と堀で囲まれ、4万8千坪(158,400平方メートル)の境内に多くの堂が立ち並ぶ規模を誇った。境内の東側には大きな松林があり、鬼門の方角は京都御所の「猿が辻」のように凹ませてあった。江戸時代を通じて無本寺(別格本山)として、塔頭寺院と末寺も多数有していた。(Wikipediaより)
尾張徳川家が興したお寺で、「徳興山」とはつまりそれを意味している訳ですね。
「大聖不動明王」仏教用語のバババーンと漢字が並ぶのを見るのが好きです。
それにしても立派な門ですね。
ワタクシ、名古屋市民ですが・・・・知りませんでした。(恥)
帰宅後調べたところによると、この三間重層門は名古屋市指定文化財とのことです。
いつも思うのですが・・・・鳥除け用のネットが景観的には本当に残念です。
出ました、葵の御紋!!
お寺に入るの久しぶりなので新鮮です。
コロナの注意書きがありましたが、水は出ていましたので使わせて頂きました。
地蔵様の存在が神社とは違いますよね。
百度石?
ちょっと読みづらいです。
帰宅後公式サイトを見たらはっきり写っている写真が載っていました。
百度石でした。
理由は分かりませんが、すり減ってしまった様ですね。
此方は明王殿(不動殿)
堂内には不動明王が安置されているそうで、尾張徳川家の戦勝祈願の秘仏として伝えられた貴重なものなのだそうです。
非公開の秘仏ということですが、公式サイトに不動明王像の写真が載っていました。
めちゃくちゃカッコいいです!
ここにも葵の御門。
南無地蔵大菩薩とあります。
龍が巻き付いた立派な灯籠です。
最近神社を参拝してばかりだったので全てが・・・・特に地蔵様が新鮮です。
そして・・・・解らないものばかりです。(笑)
阿修羅像・・・・ですよね?
殉国の碑と読めますので、戦没者の慰霊碑でしょう。
どうか、安らかに・・・・。
読めません。(笑)
しかし、雰囲気を楽しむことは出来ます。
知らない方が景色として純粋に楽しめるのかもしれません。
残り一ヶ月程度ありますが、コロナ禍の今年2021年は神社ばかり巡った年になりました。
おかげでほんの少しばかり神道や神話について知ることが出来ました。
予備知識を持って見るのも楽しいですが、何も知らずに見るのも・・・・別の楽しさがあると思います。
得るものがあれば失うものもある・・・・ということでしょうか?
本堂 建中寺の根本道場、此方も市の指定文化財です。
コロナが早く収束しますように・・・・。
屋根がとにかく素敵です。
ちょうど鳩が写りました。(笑)
堂内には徳川家の霊廟があるそうです。
経蔵、指定文化財です。
公式サイトに内部のことが書かれていますが、何だかよく分かりません。(笑)
書院(客殿)
此方の屋根も色といい形といい、非常に魅力的ですね。
お隣は幼稚園、その名も建中寺幼稚園です。
小さな子供たちが元気に走りまわっていましたよ。(笑)
園舎にも葵の御門です。
これが一つ付いただけで、何だか最強の幼稚園の様な感じがしてしまいます。(笑)
そしてなんとこの鐘楼は幼稚園の敷地内にあり、こちらからは近づけません。
園内には柵も何もなく、園児たちが自由に周りで遊んでいます。
重要文化財はその貴重さ故に厳重に保管する必要があるのはよく分かります。
しかし、それらは歴史の教科書の写真でチラッと見る程度です。
子供が近づけて触れられる、この鐘楼の歴史的価値は低いのかもしれません。
ですが、子供達の身近に寄り添うこういったものも同じくらい大切なものだと思います。
この鐘楼内の梵鐘は戦時中の金属物供出を免れ、毎年暮れには除夜の鐘を聞きに来る人々で賑わうそうですよ。
ありがとうございました。
偶然辿り着いた久々のお寺で、とても新鮮でした。
そしてワタクシ、やっぱり物凄く無知ですね〜。(笑)
直感的な文章しか書けませんが、ワタクシは楽しめました。
皆さんの町にはどんなお寺がありますか?