ふらっとミニベロ紀行

熱田神宮周辺を探索する 西部、北部編 名古屋市熱田区

熱田神宮周辺を探索する 西部、北部編 名古屋市熱田区

 

前回のあらすじ

熱田神宮周辺が面白そう・・・・。

適当な思い付きで始まった神宮周辺探索でアヒルノヒカリは何を見る?そして何に出会う??

それでは皆さんお待ちかね〜〜〜っ!

レディィ〜〜、ゴォォォッ!!

 

名古屋道道標

一旦熱田神宮周辺に戻って来ました、ここは国道一号線沿いです。

此方に立っているのは名古屋道道標です。

残念ながら文字を読み取ることは出来ませんが、浜へと続く道と名古屋道への分岐を示したいたそうです。

名古屋道・・・・初めて聞きました、旅先で新たな知識を得るのは嬉しい事です。

 

青衾神社 (熱田神宮境外摂社)

此方も謎の熱田神宮境外摂社で、あおぶすまじんじゃと読みます。

社標に記載されていませんが、此方の神社は式内社だそうです。

祭神は天道日女命・・・・どうやら此方の神社も判っていない事が多いようです。

早く戦争が収束しますように・・・・。

熱田神宮周辺ということで色々記録が残っているのかなと思っていましたが、どうやらそうでも無いようです。

そもそも此方の神社も創建年不明のうえ熱田神宮摂社として建てられたかすらも不明なのだとか・・・・。

うーん、歴史ミステリーですね。

 

影向間社

完全に偶然の出会いです。

次の目的地に向かう途中の駐車場横にちょこんとお社がありまして、良いねぇなどと能天気にパシャっと写真を撮りました。

このお社はGoogleマップを限界まで拡大しないと表示されません。

拡大した結果、影向間社という名前が分かりました。

帰宅後調べたところこのお社は・・・・なんと草薙の剣の仮置き所であり熱田神宮危急の際の熱田大神避難所なのだそうです。

アヒルノヒカリ、これにはアヒルノアジトでコーヒーを飲みながら驚愕致しました!!!

 

誓願寺、源頼朝出生地

目的地を調べて興味を唆られたお寺です。

頼朝!?

関東で生まれたものだとばかり思っていました。

ここには熱田大宮司藤原氏の別邸があったとされています。

源義朝も正室であり頼朝の母である由良御前は大宮司藤原季範の娘、御前は実家であるこの地で頼朝を産んだとされているそうですよ。

お寺の門には葵の紋・・・・どうも愛知県は天下人だの武家の棟梁だの征夷大将軍だのに物凄く縁がありますよねぇ。

県民としては嬉しい限りです。

 

金刀比羅神社

熱田神宮西側真横には金刀比羅神社があります。

祭神を調べたところ大物主命と・・・・崇徳天皇(!)の名前が出て来ました。

崇徳天皇といえば日本最強の怨霊として有名ですが・・・・どのような経緯で祀られたのかはよく分かりませんでした。

本殿前に賽銭泥棒警戒中の看板・・・・おい、マジでやめろっ!!!(ガクブル)

早く戦争が収まりますように・・・・。

境内には二羽のカラスがのんびりしていました。

何となく神社にいるカラスは全て八咫烏に見えてしまいます。

写真撮れるかなぁとカメラを向けると・・・・距離があるにも関わらずスーッと視界から逸れていきます。

流石ですね。(笑)

 

花林山弥勒院

此方のお寺も偶然見つけました。

Googleマップで調べると単に弥勒院と表示されます。

このお寺に入ってみようと思ったのは・・・・。

此方の風鈴、ちょうど風があって心地よい音色が聞こえてきたからです。

本当に良い音色でして・・・・ワタクシ聞き入ってしまいました。

期間限定と書かれていましたよ。

早く戦争が収まりますように・・・・。

風鈴の音色、本当に素敵でした。

 

白鳥古墳(白鳥御陵)

ん、これは?

偶然見つけました、何という花なのでしょうか?

とても綺麗ですね!

さて、やって来たのは白鳥古墳・・・・古墳まであるのですねぇ。

古墳と言われなければ分からないでしょうね。

白鳥古墳は六世紀初め頃の築造と推定されているそうです。

ぐるりと全周を廻る事は出来ませんが、かなり大きそうです。

古くからこの古墳は日本武尊の御陵という説があるそうです。

日本武尊が白鳥になって熱田の宮に飛び来たり、この地に降り立った事からこの古墳は白鳥御陵と名付けられたそうです。

そう、この周辺の地名は白鳥・・・・地名は知っていましたがそんな意味があったとは知りませんでした。

そして今まで特別考えた事がありませんでしたが、古墳よりも神社の方が古いという事ですね。

 

断夫山古墳

熱田神宮とは少々距離がありますが・・・・熱田神宮公園、此方の公園にも古墳があります。

断夫山古墳、東海地方最大の前方後円墳なのだそうで全長は151mです。

やはり此方の古墳も六世紀初頭、周辺に勢力を持っていた尾張氏の首長の墓と考えられているそうです。

古くからここ断夫山は立ち入りが禁止されていたそうで、三月三日のみ立ち入る事が許されていたとの事です。

熱田の浜を見渡せるのはこの三月三日のみだったそうですよ。

熱田湊を見た後でも令和に生きるワタクシには、ここから海が見えるというのは正直ピンときません。(笑)

勿論現在も立ち入り禁止・・・・なのですが「古墳学習目的で入山される方は管理室にお越し下さい」と書かれています。

研究者や学会関係者という意味なのでしょうか?

ワタクシでも入山できるのでしょうか?

古墳周りは堀の様になっています。

日の光が当たって草の絨毯のように見えます、綺麗ですね。

この公園にも多くのカラスがいましたが、カメラを向けるとやはりスーッと視界から外れていきます。(笑)

外周廻っていると・・・・。

この大きなカラスは逃げませんでした!

そのままカラスの横をミニベロで通っても・・・・。

逃げない!?

「そんなに撮りたいのかよ、しょーがねーなぁ」なんて声が聞こえてきそうです。(笑)

このカラスと共に断夫山から熱田神宮を見下ろしてみたいものです。

 

横田神社

ここからは熱田神宮北部になります。

夏ですねぇ。

この向日葵は蝶つきです。

そして向日葵の横には・・・・。

横田神社、此方も道中で偶然見つけました。

細長い道の先に鳥居、周りは民家です。

地元民出ない限り偶然見つける以外参拝のチャンスはなさそうです。

とても綺麗な境内で、近所の方々が大切にしているのが良く分かります。

早く戦争が収まりますように・・・・。

帰宅後調べてみましたが創建年から祭神まで全く不明のようで、横田さんが私有地に建てた神社説まであるようです。

 

夜寒の里碑

小学校沿いにポツンと石碑。

かつてここ夜寒の里は閑静な別荘地で月の名所だったそうです。

江戸末期から明治初期に刊行された尾張名所図解には軒先で筵を広げ月夜を楽しむ様子が描かれているそうですよ。

月の名所・・・・現在ではあまり聞かないように思います。

夜空が明るくて月が綺麗に見えないのか、それとも昔の人々ほど景色を楽しむ心のゆとりが不足しているのか・・・・。

雅な心を持って日々を過ごしたいものです。

 

高座結御子神社 (熱田神宮境外摂社)

創建は835年、祭神は高倉下命・・・・子育ての神として知られているそうです。

随分情報量が多い社標ですね。

熱田神宮境外摂社、式内、名神大社、ここまで色々刻まれた社標は初めて見るかも・・・・。

謎のパワーワード「熱田神宮境外摂社」。

境外という漢字から熱田神宮の周りを守るように配されているのかな予測しましたが、調べたところ大高方面にも熱田神宮境外摂社が一社ある様です。

・・・・謎です。(笑)

境内が広い!

手水舎にはたっぷりの水・・・・清めさせて頂きました。

鹿子の木、剥がれた幹の樹皮が小鹿の斑点に見える事から名付けられたそうです。

子育ての神として昔から信仰されてきた此方の神社、子預け祈願というものがあるそうです。

可愛い幼児の無事成育と虫封じをお祈りし十五歳まで神様にお預けしてお守りを頂き、満期十五歳になったらお礼参りをするという信仰なのだそうです。

現在でも行われており五万人余のお子さんの名が台帳に登録されていて、一日一回無事成育の祈願祭が執り行われているそうです。

尚、この期間は神様にお預けしたお子さんという事で頭を叩いてはいけないとの事ですよ。

とても良い風習ですね!

此方は御井社。

此方も子育て信仰、「井戸のぞき」です。

古くから此方の井戸を幼児にのどかせると”虫の気”が封じられ夏病みなどをしないという信仰があるそうです。

ワタクシにはご利益がないでしょうが、のぞかせて頂きました。

井戸には龍神様のお札がありましたよ。

たくさんの子供たちが健やかに育ちますように・・・・。

高蔵貝塚、境内には貝塚もあるようです。

弥生時代の土器や石器も発見されたそうです。

古くから人々が集まる、いにしえのパワースポットなのですね。

社務所。

御神木。

この幹・・・・凄いです。

何とも立派な木ですね。

他にもお社・・・・此方は矛取社。

此方は新宮社。

そして本殿です。

早く戦争が収まりますように・・・・。

本殿右奥にも御神木。

あぁ、此方も立派な木ですねぇ。

境内にはお稲荷様も祀られています。

高座稲荷社、太閤出世稲荷とも呼ばれているそうです。

本殿にも豊臣の家紋がありました、秀吉縁の神社なのでしょうか?

太閤出世稲荷・・・・名前が素敵すぎる!(嬉)

お稲荷様の鳥居はいつ潜ってもワクワクしますね。

早く戦争が収まりますように・・・・。

神社の隣の公園ではお祭りの準備がしてありました。

夏ですねぇ〜。(喜)

 

熱田八大師第八番礼所

此方のお地蔵様も偶然見つけました。

Googleマップ再拡大で出てきました。

百度石もありますが、ここからどこを百度参りするのでしょうか?

熱田八大師・・・・どんなものか調べてまた改めて廻ってみるのも面白そうです。

 

外土居神社

此方の神社周辺の地名を外土居といいます。

神社の名前がそのまま地名になっているという事で興味が湧き訪れてみました。

この神社の周りにはインドの塔のような建物がドシドシ建っています。

大乗教という宗教の総本山らしいです。

それもあってか・・・・なんと言うか、少々変わった雰囲気です。

境内にはお社が三つあります。

早く戦争が収まりますように・・・・。

 

畑中地蔵

かつてこの一帯は畑地だったそうです。

ある日が農民がここを耕していたところ、大きな石が出てきたそうです。

邪魔になるので掘り起こそうとすると石はどんどん大きくなり、いくら掘っても根本まで到達しなかったそうです。

その夜枕元に異様な人が現れ「我を祀れば願いを叶えてやろう」と言って消えたとの事です。

そうして祀られたのがこの畑中地蔵なのだとか・・・・完全に日本昔ばなしですねぇ。

熱病にもご利益があるそうです。

太平洋戦争時の激しい空襲でもここら一帯は被害を免れたそうで、これもお地蔵様の御加護だと今でも町内の人々から大切にされているそうです。

更に名古屋出身のボクサー畑中清詞さんが同じ畑中と言う名前ということで此方のお地蔵様に必勝祈願したところ、見事にチャンピョンになったとの事ですよ。

こういう話、良いですよねぇ。

寺社仏閣と子供の絵、この組み合わせがすごく好きです。

早く戦争が収まりますように・・・・。

 

金山神社

金山総合駅すぐ近くにあります・・・・が、今日まで知りませんでした。

名古屋市民にとってはこの辺りは熱田エリアではなく金山エリアとなりますが・・・・住所は熱田区なんですね。

祭神は金山彦命、金属や鍛治の神様です。

此方の手水舎にもたっぷりの水、清めさせて頂きました。

・・・・本日も猛暑日です。

御神木。

今日は沢山の立派な御神木を見る事が出来ました!(嬉)

神宮鍛治職尾崎彦四郎の祖である善光が屋敷内に勧請したことに始まり、尾張鍛治発祥の地とされているそうです・・・・はっ!?

地名の金山とは金山彦命の金山であり、尾張鍛治発祥由来の金山なのか!

今日は地元の知識を沢山得る事が出来ました。(喜)

境内には神明社。

そして金山龍神社、龍神様にも縁のある一日でしたね。

早く戦争が収まりますように・・・・。

金山神社を出ようとすると同じTシャツを着た沢山の人が入ってきました。

バックプリントには”金山祭”の文字・・・・お祭り準備のスタッフさん達なのでしょう。

お疲れ様です。

 

佐屋街道道標

本日は東海道沿いの神明社の道標からスタートしました。

ということでゴールも道標にしましょう。

「西 右宮満 左なこや」

南は・・・・残念ながら読めません。

ここから北側へ、清洲方面へ伸びる佐屋街道の道標です。

 

約六時間ミニベロを漕いですっかり日焼けしてしまいました。(笑)

薄い内容で無駄に長い記事になってしまいましたが読んでくださった方、ありがとうございました。

 

皆さんの町にはどんな寺社仏閣や史跡がありますか?

 

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