近場でテント泊? 愛知県犬山市 中編
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
天気に恵まれた連休の朝。
新しく買ったフレームバッグフル装備で気分もノリノリのアヒルノヒカリ。
さあ、キャンプしに行こう!
犬山市を目指して電撃的に北進、ふふふ20kmなどあっという間よ。
橋を渡って坂を登れば犬山城です。
気持ちの良い1日になりそうですね。
針綱神社
山城の犬山城の麓には大きな神社が2つあります。
まずはこの針綱神社から参拝していきましょう。
針綱神社(はりつなじんじゃ)は、愛知県犬山市にある神社である。式内社(小社)で、旧社格は県社。
東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として、濃尾の総鎮守とされている。
安産、子授けにご利益があるという。これは、1537年(天文6年)、織田信康が自ら手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願したことからである。以来、戌の日に安産祈願すると良いとされている。
犬山城の守護神でもあり、三光稲荷神社と同じく犬山城の南の登城入り口近くにある。また犬山祭は、針綱神社の祭礼である。 (Wipipediaより)
尾張五社の一つなのだそうです。
コロナの影響で手を清める柄杓が無くなっていました。
コロナ、早く消えろよ。
狛犬が少し痛んでいますが、これはこれで味わいがありますね。
真隣に三光稲荷神社、境界にも狛犬が祀ってあります。
一つの境内に多くの神々が祀ってあるのは多神教の神道ならでは、このおおらかな雰囲気が好きです。
こちらは太宰府から出張、菅原道真公。
ありがとうございました。
三光稲荷神社
次は隣の三光稲荷神社を参拝します。
鮮やかな朱色が綺麗ですね。
三光稲荷神社(さんこういなりじんじゃ)は、愛知県犬山市にある神社である。針綱神社、犬山神社と同じく、犬山城の南の登城入り口近くにある。創建時期は不明。かつては三狐山(三光山)[1]に鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていたという[2]。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社となる。1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転する。猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を併記している。 (Wikipediaより)
お稲荷様〜。
こちらは猿田彦神社。
平日なんですが幾つもの浴衣女子集団が参拝していました。
自撮り棒でパシャっと、隣の針綱神社にはいませんでしたから、きっとここはインスタ映え?で有名なのでしょう。
彼女達のキラキラに比べワタクシ、アヒルノヒカリは汗でベトベト・・・・。
いやはや、申し訳ない、申し訳ない・・・・。
浴衣を着た外国人女子もいました。
いやはや、申し訳ない、申し訳ない・・・・。
稲荷神社といえばコレ、何処でみても綺麗ですよね。
インスタ映えもうなずけます。
浴衣+狐のお面女子もいました。
カワイイ・・・・これは反則でしょう。
ありがとうございました。
犬山城
それでは行きましょうか、国宝犬山城。
犬山城(いぬやまじょう)は、尾張国と美濃国の境、木曽川南岸の地「犬山」にあった日本の城である。現在の場所で言えば愛知県犬山市にあり、天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている[1][2]。日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)である。
尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。
前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。また、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。
江戸時代には尾張藩の付家老の平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。2004年(平成16年)3月末日までは日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月1日付けで設立された財団法人犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に移管されている。2006年(平成18年)4月6日には、日本100名城(43番)に選定された。 (Wikipediaより)
この急な斜面、これぞ山城、良いぞ良いぞ〜。
天守閣が見えてきました!
大きな石碑ですね。
立派な御神木だったのでしょう。
枯れてしまう前の姿を見てみたっかたです。
それでは入城しましょう。
物凄い急な階段です、油断すると脚が引っ掛かって躓きます。
時代劇で出るような城ではなく、ガチガチの戦争用施設。
急階段とこういった小部屋しかありません。
快適性ゼロ、まさに戦争の為だけに造られた建物です。
上記のように2004年までは個人所有だったわけで、所有者は住もうと思えばここに住めたという事なんでしょうか?
・・・・住むのは嫌だな。
甲冑が展示してありました。
カッコ良いんじゃ〜。
なんと最上階の外側に出られました。
これは凄い!
鉄の柵に慣れすぎているからでしょうか、この木の柵が何とも心許ない・・・・。
高い所でカメラを構えるといつも落としそうな気がして心配になります。
先程の石碑です。
高いですね〜、ケツがムズムズしてきました。
ありがとうございました。
長くなったので一旦区切りますね。
次回に続く?