蟹江紀行 愛知県蟹江町 前編
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
ワタクシ、去年から気になっている場所がありまして・・・・本日はそこを目指して西へ向かいます。
海部郡蟹江町
その場所とは愛知県海部郡蟹江町にあります。
「かにえ」という地名が初めて文献に登場するのは1215年に書かれた「水野家文書」の中だそうです。
1215年というと鎌倉時代、源頼朝死後で北条氏の執権政治が始まる前ですね。
その頃、この一帯は海に囲まれていたそうです。
その後、この地は交通の要所として戦国時代には伊勢湾の海上交通路守備の要塞に、続く江戸時代には大きな港が建設され交易や漁業が盛んな経済の中心地として栄えたそうですよ。
気になる場所以外にも古い建物や街並みを見ることが出来そうで楽しみです。
そして蟹江町は温泉の町でもあります。
コロナが落ち着いたら入りに来たいですね。
・・・・早速魅力的な古い建物を見つけました。
のり問屋、営業しているのでしょうか・・・・気になりますね。
お寿司屋さん、常連客になりたい気分になる良い雰囲気です。
こちらはなんとスポーツジム!!
古い建物をリフォームしたのでしょう、中に入ってみたい。
そしてさらになんと、こちらはフランス料理のレストランです。
親鸞聖人腰掛石
少し前に法事がありまして、親戚一同が集まりました。
そこで宗派によってお葬式代が違うという話になりまして・・・・低価格なお葬式の宗派はどこかというと、やはり浄土真宗でした。
庶民に向けた宗教というイメージですよね。
・・・・葬儀代の話がしたいわけではありませんよ、宗教の歴史や違いは興味深いという話ですよ。(笑)
その浄土真宗の開祖親鸞聖人が1233年に知多半島から蟹江に渡り、付近の村人を集め野説法をしたと伝えられているそうです。
その時腰掛けたのがこの石なのだそうですよ。
結構広い広場になっていまして、奥には忠霊塔がありました。
どうか、安らかに・・・・。
広場には昼休憩なのでしょう、作業服姿の若い方々が座って雑談されていました。
お邪魔だろうなぁと思い軽く会釈したところ「こんにちは」と、声をかけてくれました。
あぁ、なんて気持ちが良いのでしょう。
こんにちは、ありがとう。
ワタクシの撮影中は雑談が止んでしまいました・・・・そうなってしまいますよね〜、申し訳ない、申し訳ない。(苦笑)
山口家住宅
国の登録文化財なのだそうです。
1751年、江戸時代後期の建築で「四つ建」と呼ばれる尾張地方の伝統的構造なのだそうです。
2011年に国登録有形文化財に指定されたとのことです。
庭を見に普通に中に入ってしまいそうになりますが、一般見学はしていないとのことです。
裏に回ると屋根を見ることが出来ます。
入ってみたい・・・・いや一泊してみたいです。
銭洗尾張弁財天冨吉神社
今年の初めにこんな写真を記事内に載せました。
「訪れたい場所がありまして、そこで使うために五円玉を集めていたのですが・・・・集め過ぎました。」などと書きました。
そうなのです、去年から気になっていた場所とは此処なのです。
創建年 1429〜41年
旧社格・等級等 情報見つからず
祭神 冨吉龍大神 大松大神
1429〜41年頃、北条平八郎時満という武将が蟹江城を築く際の城の鎮守社として、鎌倉の銭洗弁財天宇賀神の眷属である冨吉龍大神を勧請したのが始まりと伝えられているそうです。
北条時満は冨吉龍大神に深く帰依し、黄金の井戸銭洗いを造りその霊水で金銭を洗いその福銭をもって蟹江城を築いたとされ、その城下町は尾張国有数の町として発展したとのことです。
あぁ、手水舎には水があります。
このところ空の手水舎を多く見てきたので嬉しいですね。
室町時代からこの境内の銭洗いの池にて財宝を洗えば福徳が授かり、また洗った小銭で商売をすると何倍にもなると言い伝えられ始めたそうです。
コロナが早く収束しますように・・・・。
こちらはご霊石でしょうか?
ウクライナでの戦争が早く収まりますように・・・・。
そして・・・・この小屋の中が銭の洗い場になっています、ワクワクしますね。
中はものすごく神秘的な雰囲気でした。
興奮したワタクシ、アヒルノヒカリは全体の写真を撮り忘れました。
なんて分かり難い写真なのでしょう・・・・バカめ、バカめ。(泣)
こちらが冨吉龍大神・・・・静かな小屋の中、龍神様の口から落ちる水の雫の音が響きます。
コロナも、ウクライナも、とにかく世の中が平和に落ち着きますように・・・・。
さあ、銭を清めましょう!!
水の中に入れている写真なのですが・・・・全く分からないですね、まったく。(泣)
清めた硬貨はウクライナ募金の一部として使おうと思います。
戦災された皆さんに神仏の御加護があります様に・・・・。
どうも文字にすると暗い気持ちになりますね・・・・今後も寺社仏閣では同じように願をかけますが本日以降ブログには書かないようにしようと思います、よろしくお願い致します。
境内には、1584年の蟹江合戦の犠牲者を祀る「蟹江城主、先祖代々供養塔」もあります。
蟹江合戦とは小牧長久手の合戦の戦闘のうちの一つです。
いまいちパッとしないあの合戦も歴史ドキュメンタリー枠で是非とも追いかけてみたいです。
ここは陽当たり良く、そして神秘的な・・・・とても良い神社でした。
源氏塚
小さな公園になっています。
そして・・・・おぉ、梅の花。
本日も見られるとは・・・・執着至極!!
平治の乱で敗れた源義朝が都落ちし知多半島へ舟で逃れる途中、当時小島だっだこの蟹江に立ち寄ったのだそうです。
それ以降、この辺りは源氏小島と呼ばれるようになったとのことです。
公園のすぐ近くの交差点に源氏島という名が残っています。
・・・・カニ!?
公園内には蟹の像もありました。
えーっと、何の説明書きもありませんが・・・・まさか、まさか蟹江だから?(笑)
今日もいい天気で気持ちが良いです。
名古屋市内の梅の花を巡った時はこのピンク色は見ませんでした、実に嬉しいことです。
長くなりそうなので、一旦区切りますね。
次回に続く?