蟹江紀行 愛知県蟹江町 後編
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
蟹江紀行、後半いきます。
大相撲ストリートと足湯かにえ郷
二子山部屋と高砂部屋の力士17人の足型が歩道上に設置されています。
ここ蟹江町にある龍照院が大相撲名古屋場所の高砂部屋の宿舎になっているそうです。
ワタクシ、アヒルノヒカリはあまり相撲に明るくありません。
ワタクシが知っている力士の足型のみ写真を撮っていきますね。
まずは皆さんご存知の若乃花と貴乃花。
貴闘力。
朝乃山。
朝赤龍。
闘牙。
そして朝青龍。
大相撲ストリート沿いに大きな病院があります。
何だかものすごく健康に良さそうな名前ですね。(笑)
その病院の敷地内になるのでしょうか、足湯かにえ郷があります。
沢山の地元の方々が足湯を楽しまれていましたよ。
お邪魔にならぬよう、写真は控えましたがとても綺麗な施設でした。
遠方の温泉に旅行というのも良いですが、温泉街に住むというのも楽しそうですね。
蟹江神明社
丁度去年の今頃でしょうか、大仏を見に愛知県江南市を訪れました。
その時幾つかの神明社に寄り道しました。
あの時は固有名称の判らない、同じ名前の神社が複数ある事にいささか困惑しましたが・・・・。
神明社は全国各地、至る所にあります。
それもその筈・・・・神明社に祀られている祭神は天照大神!!
日本神話の主神ですから、固有名称を付けられない程沢山あるわけですね。
町内を流れる蟹江川の畔にあります。
創建年 1429年〜1441年
旧社格・等級等 郷社・等級は分からず
祭神 天照大神
永享年間(1429~1441)北条時任が蟹江城築城の際、城の本丸南の守護神として清洲から御薗神明社を迎えて祀ったのが起源なのだそうです。
・・・・おや?
1429年〜41年の蟹江町築城の際というと、前編でご紹介した銭洗尾張弁財天冨吉神社と同じですね。
あちらの神社では北条時満という名前が出てきましたが・・・・?
調べたところ時氏は時満の息子なのだそうです。
親子で蟹江城を築城し、親子別々で城の守護神を招いたという事でしょうか?
当主の父親が自分の信じる神を迎え嫡子の息子が地元の神社から神を迎えた、という解釈で如何でしょう?
ま隣というかほぼ同敷地内にお寺もあります。
天王社の件で色々あったので、こうして神社とお寺が並んでいるとホッとします。
優劣を付けたり他方を排除したりするのは・・・・宗教ですから色々とあるのでしょうがワタクシは嫌いです。
さて、境内には・・・・。
馬の像、去年の江南市でも見ました。
馬の像は「神馬」、馬は神の乗り物として神聖視されているそうです。
古くからの神社の中に「神馬舎」(馬小屋)があったそうで、馬の像が設置されているのはその名残とのことです。
小規模な神社では馬の世話は重荷であったり、献納する側にも負担が掛かるので大きな板に馬の絵を描いて奉納する様になったそうで、これが現在の「絵馬」になったそうですよ。
これは立派な灯籠ですね。
手水舎には・・・・。
水が張ってあります、あぁ良いですね。
手水舎の隣には井戸・・・・此処は実に見応えのある神社ですね。
とにかく平和になりますように・・・・。
本殿の横・・・・まだ奥があるようです。
何やら不思議な雰囲気です。
神明社は蟹江本町地区の鎮守で、地域の安寧と五穀豊穣を願う神事が春秋行われるそうです。
大晦日から元旦にかけては「かがり火」を焚き、午前0時から神明社の拝殿では新年の祈祷があり、元旦の午前中は神酒が振舞われるとのことです。
沢山の人が初詣に訪れるのでしょうね、機会があったら来てみたいです。
地元の方々が大切にしているのが、綺麗な境内から伝わってきます。
こちらは裏口です。
そして・・・・。
おぉ、ここは!?
ここは・・・・良いっ!!(悶絶)
不思議な雰囲気を感じられて大満足です。
蟹江川沿い
次の目的地も蟹江川沿いなので、川に沿って進みます。
綺麗に整備されていて、ずっと川沿いを走ることが出来ます。
川には鴨、そして・・・・。
川沿いの道から町に繋がるこの景色が何か・・・・とても良いです。
如何ですか?
古くからある道なのでしょう、何と言うか不思議と言うか面白いと言うか・・・・まあとにかく好きです。
柵がありません、もしや登れる?・・・・怒られるでしょうね。(笑)
どの川であっても、川沿いは気持ちが良いです。
蟹江川もとても魅了的で・・・・いつかじっくり遡ってみたいですね。
冨吉建速神社・八劔社
此方も蟹江川沿いの神社です。
創建年 733年?
旧社格・等級等 郷社・等級は分からず
祭神 冨吉建速神社 素戔嗚尊
八劔社 草薙神霊
二社を合わせて須成神社とも呼ばれるそうです。
隣には大きなお寺があります。
後で行ってみましょう。
かつてこの神社は牛頭天王社と呼ばれていたそうです。
お寺が隣にあるので油断していましたが・・・・きてしまいましたね、神仏分離令。
国家神道が押し進められた明治期に祭神を牛頭天王から素戔嗚尊に、牛頭天王社から冨吉建速神社に変更されたそうです。
此方の手水舎にも水があります。
!?
珍しい神社ですね・・・・狛犬がありません。
昭和28年に冨吉建速神社の本殿と八劔社の本殿が国の重要文化財に指定されました。
帰宅後この神社を調べたのですが、「行基勧請の社で一間社流造りの本殿」と言う素人には良く分からない言葉が出てきました。
行基とは奈良時代の僧だそうです。
一間社流造りとは神明造りから発展した神社建築の様式だそうです。
ワタクシにはよく分かりませんが・・・・仏門の僧侶が建てた神社ということなのでしょうか?
それで牛頭天王が祀られたのでしょうか?
そういえば・・・・なぜ牛頭天王なのでしょうね?
大日如来や不動明王を祀った神社は存在するのですかね??
この神社で開催される須成祭りがユネスコの無形文化財に指定されているそうです。
奥には狛犬がありますね。
手前のこの建物が神明造りなのだと判れば、表に狛犬がないのも頷けます。
1182年に木曽義仲が再建したとされるが、定かでは無いそうです。
木曽義仲は木曽で決起し、北陸から京都に進撃しました。
その後京都の宇治川で源範頼・義経を迎撃して敗北、木曽へ逃亡中に討ち取られました。
前編の源氏塚で紹介した源義朝と違いこの地に縁は無さそうですが・・・・?
範頼・義経も京都に向かう途中この辺りを通ったでしょう、しかし義仲は・・・・如何でしょうね。
それにしても・・・・行基は奈良時代、義仲は平安時代なのにこの神社は式内社では無いのですね。
歴史背景や建造物の造りとこの色合い、随分とミステリアスな雰囲気のある神社です。
木曽義仲の他にも1548年には織田信長が社殿を修復したとされるが、そちらも定かでは無いそうです。
豊臣秀吉、徳川家康もこの神社を参拝し寄進したそうですよ。
VIPが名を連ね貴重な建築様式で重要文化財、そして行われる祭りも無形文化財・・・・であるのにこの雰囲気です。
そして式内社でも無い・・・・。
少し影のあるような、どことなくミステリアスな・・・・こういう神社も大好きです。
・・・・が、余り考えすぎると何だか怖くなってくるのでこの位にしておきましょう。
龍照院
隣のお寺は龍照院、力士の宿舎というのは此処でしょうか。
真言宗智山派のお寺で、尾張三十三観音霊場の十三番なのだそうです。
真言宗で霊場というと・・・・。
そう、弘法大師ですよね。
八十八とか三十三とか全国各地に沢山ありますね。
本尊の十一面観音菩薩が国の重要文化財に指定されているそうです。
下調べを全くしないワタクシ、アヒルノヒカリが義仲の名を見たのはこの看板と石碑です。
実を言うとワタクシ、アヒルノヒカリは木曽義仲推しでして・・・・源平合戦中随一の名将は木曽義仲だと思っています。
愛知県で義仲縁の地があるとは、嬉しい限りです。
まあ、上記のように本当かな?という気持ちもありますが・・・・。
案内にある巴御前縁の大日如来堂はこちらです。
巴御前は架空の人物の可能性があるが当時女性指揮官が存在した可能性は大いにある、というような記事を読んだことがあります。
龍照院は773年に行基が創設し、1182年に木曽義仲が七堂伽藍と十八坊を建立しその中央に蟹江山常楽寺を置いたとされているが、例によって定かでは無いとのことです。
行基はお寺と神社をこの地に同時に建てた、ということでしょうか?
なぜワタクシが木曽義仲推しなのか、ワタクシの義仲愛をここで独談するのは控えますね。
いつか義仲縁の地を訪れた折には、是非ともお付き合い下さい。(笑)
さて、先程の案内板には「太閤秀吉お手植えの銀杏」というのも書かれてありました。
本当にVIPだらけな場所ですね、早速見に行きましょう!
本堂の奥にあるようです。
柵越しですが、お隣の謎の多い冨吉建速神社・八劔社の側面を見ることが出来ます。
奥は綺麗な庭、そして墓地になっています。
そしてその一角に・・・・。
こちらが秀吉の銀杏です!
・・・・?
あの枝、如何なっているのでしょう?
下に向かって氷柱のように伸びていますが・・・・??
あんなものは初めて見ましたよ、皆さんは見たことがありますか?
・・・・ここ、やっぱり何か特別な霊力があるのでは??(笑)
そんな雰囲気を醸し出す冨吉建速神社・八劔社の裏側をパシャ。
どうにも気になる場所ですよね?
目的地の銭洗尾張弁財天冨吉神社もそれ以外の地も、とても興味深く期待以上の場所でした。
満開の梅の花も見ることが出来ました。
蟹江町、とても楽しかったです。
ありがとうございました。
だんだん暖かくなって、旅に適した季節になってきました。
コロナ患者数がなかなか減りませんんが、守るべき事は守りドーンと楽しんでいきたいですね?