蛇の重軽石がある龍神社 名古屋市八坂龍神社

皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
一年遅れで始まった龍神巡り、今回は蛇の重軽石を見つけました。
中島八幡社

本日やって来たのは中島八幡社です。

大きな旗が立派で良いですね。


境内は砂利になっていて、とても気持ちが良いです。

百度石、発見!

手水社には残念ながら水は無し。


狛犬。

そして境内にベンチがあります。

八幡社の本殿。


龍の彫刻がとても美しいです。
早く戦争が終わりますように・・・・。



本殿右奥に境内社、提灯が綺麗ですね。


そして目的の八坂龍神社があります。
・・・・!!

重軽神社!?
重軽石は何度も見てきましたが、神社になっているのは初めてです。

そして・・・・蛇の重軽石だーーーっ!!(狂嬉)
勿論いつもの通り下調べ無し、知らずに来ました・・・・今年に相応しい参拝になって嬉しいです。
重軽石とは持ち上がれば幸福、持ち上がらなければそうで無いという石です。
こちらの神社では持ち上がれば願い事(夢)が叶い、持ち上がらなければ精進が必要、と書かれています。
沢山の重軽石を見てきたのですが、どうも恐れ多くてワタクシ触った事がありません。
ですがこの蛇の重軽石・・・・是非とも触りたい、是非とも持ち上げてみたい!
人生で初めて重軽石を持ち上げてみます、よろしくお願い致します!!
・・・・うぐぐぐぐ、うぉぉぉっ!!
全く持ち上がりません、敷いてある座布団が僅かに動くのみ・・・・。(笑)
ワタクシは幸福では無いのか、願い事は叶わないのか・・・・否!!
紹介文の一番下に「・・・・とも言われています・・・・」と、意味深にアンダーバーも引かれています。
重軽石が持ち上がらないのはネガティブな事ではありません。
まだまだ幸福になれるよ、まだまだ精進出来る余地があるよ、まだまだ人生これからだよ、そう意味なのです。
ワタクシももうオッサンですが、まだまだ人生これから!!
とても幸せな気持ちになりました。

そして八坂龍神社、こちらも提灯が綺麗ですね。

ありがとうございました。
帰宅後調べました。
八幡社の祭神は勿論応神天皇、創建年は不明の様です。
かつてこの周辺は中島村と呼ばれていたそうで、それが神社の名前になっているそうです。
では八坂龍神社の「八坂」は何処から来たのでしょう。
参拝前は京都の八坂神社が脳裏に浮かんでいました。
八坂神社の祭神は素戔嗚尊、牛頭天王ですが・・・・牛頭天王は龍神に例えられる事もあります。
まさか牛頭天王が祀られている?
幸いにも境内に神社の由来が書かれていましたので、この神社の歴史を知る事が出来ました。

慶長八年(1603年)、関ヶ原の合戦の3年後の話ですね。
この地の大榎木に龍神が住まわれ八坂龍神様として慕われたそうです。
江戸時代には多くの参拝者が訪れたとの事ですよ。
「その力益々顕著になり」と書かれていますから、大きな霊力をもった龍神と考えられていたのでしょう。
ところが嘉永元年(1848年)に大榎木が枯れ始め、更に明治初年に偶像崇拝廃止が出され参拝者いなくなってしまいます。
そして明治40年に遂に大榎木は整理されてしまい、龍神を祀る事はなくなってしまいました。
再び龍神が祀られたのは昭和になってからの様です。
昭和25年に修験者の霊感により龍神が彷徨われていると氏子達に伝えられ、かつて大榎木があった社務所に神樹が安置されます。
27年に仮神殿を造営、そして30年に遂に新しく神殿が造営され現在に至るとの事ですよ。
ドラマチックな歴史ですね。
という訳でこの神社には地域神の龍神様が祀られています。
残念ながら何故「八坂」になったのかは書かれていません。
ここは中島村ですから地域名ではありません。
明治時代の廃仏毀釈令が出るまで、つまり江戸時代の八坂神社の祭神は牛頭天王でした。
強大な力を持った、そして龍神にも例えられる事がある神様です。
もしかしたら、本当にもしかしたらの話ですが・・・・。
大きな霊力を持ったこの地の龍神様は、八坂神社の牛頭天王に例えられたのかも・・・・ワタクシはそんな妄想をしています。
皆さんの町にはどんな龍神社がありますか?