ふらっとミニベロ紀行

熱田さんに行ってきます 名古屋市熱田神宮

熱田さんに行ってきます 名古屋市熱田神宮

 

皆さん、お疲れ様です。

アヒルノヒカリでございます。

どうやら梅雨が明ける様ですね!!

今回は紹介してそうでしていない、熱田神宮に行ってきます。

 

神宮、宮、大社、神社、社・・・・神宮??

今回訪れるのは熱田神宮ですが、このブログで多くの神社を訪れる様になって沸いた疑問があります。

これらは何が違うのでしょうか?

良い機会なので調べてみました。

神宮

皇室の祖先、又は皇族と縁が深い神が祭神の神社

単に「神宮」というと伊勢神宮を指す・・・・というより「伊勢神宮」は俗称なのだそうです。

全国に24社ある・・・・24もあるのですか!?

他の宮や大社も調べましたが、長くなるのでまた別の機会にご紹介いたします。

 

熱田神宮へ

本日晴天なれど時々雨?

熱中症注意のギラギラ太陽マークと雨マークが混在する奇妙な梅雨のある日、アヒルノヒカリは熱田神宮にやってきました。

創建年 113年

旧社格・等級等 式内社・尾張国三宮・旧官幣大社・別表神社

祭神 天照大神・素戔嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命

何と立派な鳥居なのでしょう。

実の所ワタクシ、大きな駅のある東側から入ることが殆どでして・・・・この鳥居をまじまじ見る機会はあまりありませんでした。

三種の神器の一つ、草薙の剣を祀るここ熱田神宮は名古屋市民にとってとても身近な存在です。

ワタクシも初詣などで何度も友人達と訪れています。

ですから一人でじっくりゆっくり時間をかけて巡るのは初めてなのです。

気持ちのいい天気です、ゲリラ豪雨など降りませんように・・・・。

さて、いつもなら境内をじっくり巡りながら本殿に・・・・という順なのですが、熱田神宮は兎に角広いので本日は真っ直ぐ本宮に向かうことにします。

橋の上からパシャ、不思議な濁り色です。

反対側・・・・向こうにも橋がみえていますが、先ずは真っ直ぐ本宮に向かいましょう。

 

佐久間灯籠

巨大な灯籠が見えます。

これは大きい・・・・かなりの迫力です。

これ以外に並んでいる普通サイズの灯籠も「明治〇〇年」と刻まれています。

流石は神宮ですね!

二つ目の鳥居を潜ると・・・・。

手水舎、ワタクシも手を清めさせて頂きました。

手水舎の横には献酒 愛知県酒造組合、色とりどりの酒樽が見ていて面白いです。

 

大楠

その酒樽の横に御神木、大楠があります。

境内には多くの楠が植っており、特に大きな木が七本あり七本楠と呼ばれているそうです。

この楠は弘法大師お手植と伝えられていて、樹齢は千年以上だそうですよ。

・・・・ここ、如何なっているのでしょうか??

いやー、これは凄いなぁ。

本宮に続く道、いつの間にか脇に水が流れています・・・・気持ちが良いですね。

 

熱田社(本宮)

三つ目の鳥居を潜ると・・・・。

彼方が熱田神宮の本宮です。

うーん、立派な屋根ですねぇ。

戦争が早く収まりますように・・・・。

皇室所縁の神社、それが神宮です。

やはり・・・・あまりバシバシ写真を撮れない気持ちになります。

 

こころの小径

本宮横から奥へと続く道の様です。

恥ずかしながら名古屋市民アヒルノヒカリ・・・・ここからは未知の領域です。

本宮の壁に沿って奥に進みます。

こんなに良い天気なのですが昨晩は豪雨でして・・・・その名残でしょうか、道がしっとり濡れています。

木陰も相まって涼しいです。

綺麗な蝶が飛んでいましたが、残念ながら写真に納める事が出来ませんでした。

まさに神々の住まう森・・・・ですね。

 

一之御前神社

こころの小径最奥にあるのは一之御前神社、天照大神の荒魂が祀られているそうです。

・・・・荒魂!

どうか神威によって戦争を収めて下さいませ、よろしくお願い致します。

こころの小径は続きます。

壁に沿って本宮の後ろへ・・・・。

裏口?裏門?

勿論立ち入り禁止です。

こちらは何でしょう??

本宮の後ろに位置するこれは?

特に説明も無く立ち入り禁止です・・・・気になる。

この先は壁沿いから離れて森の中へ・・・・。

涼しくて良い感じです。

 

清水社・お清水

見えてきたのは清水社です。

祭神は罔象女神、水の女神様です。

正面から撮った写真が完全にピンボケでした、すみません。(泣)

そして清水社の下に降りると・・・・。

お清水・・・・湧き水の池が有ります。

湧き水の中にある苔むした石に三度水をかけると願い事が叶うそうです。

石の写真もまさかのピンボケ・・・・本当にすみません。(泣)

ワタクシも掛けてみましたがことごとく失敗・・・・本日願い事叶わず。(涙目)

距離が掴み難いです・・・・見た目以上に距離がありますので、今後のチャレンジの参考にして下さい。(笑)

 

土用殿

清水社から階段で少し上に登ると土用殿があります。

神剣を奉安していた御殿だそうで、昭和に復元されたとの事です。

神剣というと草薙剣でしょうか?

是非とも一度拝見したいものですが・・・・。

これが生まれた時から民主主義国家のアメリカ合衆国なら、国宝=国民の物となり一般公開されたりするのでしょうね。(笑)

 

大楠

階段を降りて再び道なりに進むとまたも御神木、七本楠の内の一本でしょうか?

此方も凄い迫力の大木ですね・・・・そして先程の木とは雰囲気がまた違う、何時迄も見ていられますね。

 

御田神社

祭神は大年神です。

此方の神社の説明書きにはお祭りについて書かれていました。

祈年祭と新誉祭・・・・お供物をまず鳥に食べさせるそうで先程の土用殿の屋根に投げ上げ、鳥がそれを食べるまでお祭りが始まらなかったそうですよ。

 

龍神社

此方には特別説明書きがありませんでした。

熱田神宮には龍神も住んでいるのですね!

 

神楽殿

森を歩くこころの小径もいよいよ終わりです。

表に戻ってきました、此方が神楽殿です。

星型の絵馬が可愛いですね。

行きに見た道脇の水はお清水のあの湧き水なのでしょうね。

さて、ここからは境内の東側を散策していこうと思います。

 

ならずの梅

神楽殿の手前にあります。

品種等詳しくありませんが、梅の木としては大きいように思えます。

此方も樹齢が凄いのでしょうか?

説明書きによると1529年には存在していたとの事で、一度も実をつけた事が無い奇木として昔から有名なのだそうです。

・・・・これもどうなっているのでしょう?

木から草が生えていますよ。(驚)

 

信長塀

織田信長が桶狭間の合戦時にここ熱田神宮で戦勝祈願を行いました。

結果大勝した信長が御礼として奉納した塀です。

土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねていると説明書きに書かれています。

何でも三十三間堂の太閤壁、西宮神社の大練塀と並び日本三大土塀なのだとか・・・・。

その三大土塀の一角も熱田神宮では史跡というより現役の壁です。(笑)

それにしてもかなりの厚みですね。

土塀も見応えがあって飽きませんねぇ。

 

大幸田神社

此方には説明書きがありませんでした。

この神社の東側には結婚式場などがあります。

 

内天神社

此方のも説明書きがありません・・・・残念ながら説明書きが無いとこれ以上書きようがありません。(泣)

ただ言えるのは今まで一度も聞いた事がない神社名ばかりだということと、一つ一つがお社では無く神社だという事です。

今まで訪れた小さな神社とはやはり明らかな違いがありますね。

内天神社正面の・・・・此方もお社かと思いきや神社となっています。

同じく初めて見る名前ばかり・・・・一つだけ、素盞嗚神社のみわかりました。

此方は宝物館、入場料は500円です。

興味はありますが、いつもの如く写真撮影不可なのでまたの機会に・・・・。

 

徹社

逆に此方・・・・この見た目でお社となっています。

不思議ですねぇ、説明書きを・・・・お願い致します。(笑)

 

楠御前社

此方は小さな鳥居があります。

・・・・が、お社なんですよねぇ。

現在本宮から入口に向かっているので、奥にある方が格式が高いという事なのでしょうか?

此方のお社には絵馬がありますね。

そして念願の説明書きもあります!!

祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊・・・・勿論安産や縁結びにご利益があるとの事ですね。

 

南新宮社

楠御前社の奥には南新宮社、朱色が綺麗なお社ですね。

祭神は素戔嗚尊、熱田神宮唯一の朱塗り社殿との事です。

説明書きには天王祭や祇園祭、そして疫病撲滅のために疫神を祀ったということが書かれています。

津島神社でも同じ様な説明書きを読んだ事があります。

素戔嗚尊はワタクシが好きな牛頭天王と同一視されていますね。

 

清雪門

ちょっと距離感がバグりそうですが、信長塀とは距離があります。

此方は開かずの門として硬く閉ざされているそうです。

天智天皇が訳あって神剣を皇居に移したそうで、その後返ってきた神剣が二度と御同座なき様にと門を閉ざしたという故事による・・・・と書かれています。

天智天皇と織田信長・・・・全く時代が違いますが信長塀と同じ塀にしか見えません。

信長が修造したという記実もありません。

大きな疑問ですが、ワタクシ如きには全く分かりません。

 

孫若御子神社

段々正面の鳥居に近付いてきました。

此方が孫若御子神社です。

祭神は天火明命・・・・天照国照火明命、天照玉命とも称され尾張氏の始祖なのだそうです。

火明(ほあかり)とはほが赤くなるという意味で稲穂の尊称といわれているそうですよ。

文字的に火の神様かと思いましたが、豊穣の神様という事なのでしょうね。

 

日割御子神社

祭神は天忍穂耳尊・・・・説明書きにはかつてこの地は水際に張り出た洲崎だったそうで、その名残で干崎(ひさき)といわれていたそうです。

日割(ひさき)=干崎(ひさき)という事でしょう。

熱田神宮のあるここ熱田区より南の大部分が干拓地でして・・・・竜宮町、浜田町、元塩町など海に関係ある名前の住所が多いです。

これで東側は一通り廻りました。

続いて西側を見てみましょう。

 

二十五丁橋

徳川義紀書と書かれています。

尾張徳川家の方かと思って調べたのですが・・・・検索にヒットしませんでした。

同じ読みの徳川義宣であれば尾張藩16代目なのですが・・・・どうなのでしょう?

その横には土偶、本当に不思議な見た目ですよねぇ。

埴輪は人間の気配がありますが土偶は・・・・学校では女性を表現していると習いましたが・・・・。

此方が二十五丁橋、残念ながら渡る事は出来ません。

板石が二十五枚並んでいるのが名前の由来だそうです。

二十五丁橋の横に掛かっている橋からパシャ。

鯉がいましたよ。

 

くさなぎ広場

参拝客の憩いの場、フードコートもありきしめんを売っていましたよ。

その他お土産物、そして草薙館という刀剣の展示舘があります。

宝物館と共通チケットの様です。

とても興味はあるのですが、撮影不可も共通の様で・・・・またの機会に。

 

龍影閣

本宮の西側はそのほとんどのエリアが残念ながら立ち入り禁止です。

木々も生い茂っているので写真も撮り難い・・・・丁度門から撮影出来たのが此方の龍影閣です。

明治天皇の行幸の折に築造されたそうで、二階は明治天皇聖蹟として保存されているそうです。

立ち入り禁止のエリアは恐らく皇室の場所という事ですね。

 

別宮 八剣宮

正面鳥居のすぐ横、熱田神宮の外(でいいのかな?)に別宮があります。

 

上知我麻神社

祭神は乎止興命です。

元は別に場所にあったそうですが、昭和24年に此方に遷座したとの事です。

境内には大国主社と事代主社があり、五月五日の「初えびす」には新春吉兆の福運を授かろうとする参拝客で終日賑わうとの事ですよ。

それでは両脇にある大国主社と事代主社も参拝しましょう。

 

事代主社と大国主社

早く戦争が収まりますように・・・・。

 

八剣宮

祭神は熱田大神・・・・草薙剣が御神体なのだそうです。

神剣を祀っているからでしょうか、古来より武家の信仰が篤く1575年に織田信長が長篠出兵の際に神殿の修造を命じ、1599年には徳川家康が拝殿し回廊や築地の修造、更に1686年徳川綱吉が本殿の造替を行なった等の記録が残っているそうです。

・・・・尾張徳川家ではなく犬公方の名前が出てくるとは思いませんでした。

一日も早く不名誉な戦争を収めてください、お願い致します。

 

下知我麻神社

本日最後の参拝は此方です。

祭神は真敷刀俾尊、別宮の上知我麻神社と上下の名前繋がりですが祭神は別なのですねぇ。

東海道や佐屋街道に面していたことから旅行安全の神様として信仰が篤い神社なのだそうです。

この神社・・・・とても不思議です。

熱田神宮敷地内(でいいのでしょうか?)なのに神宮の境内とは全く繋がっていません。

祭神が別とはいえ「上下」で名前が同じなに上知我麻神社よりも北側に位置しています。

きっと意味があるのでしょうが・・・・分かりません。

熱田さん巡り、とても楽しかったです。

ありがとうどざいました。

参拝後に周辺をミニベロでフラフラしましたが、街並み風景も昔ながらの面白い場所が多々ありました。

また別の機会に・・・・別の神社を参拝した折にでもご紹介できたらなと思っています。

 

皆さんの身近にはどんな神社がありますか?

 

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