記念艦「南極観測船ふじ」 名古屋港
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
どうにも梅雨らしくない日々が続きますね。
ですが豪雨に見舞われた地域もあります、油断しないようにいきましょう。
アヒルノヒカリ、名古屋港へ
さて、本日ワタクシが訪れたのは名古屋港です。
見えているのは名古屋港のランドマーク、ポートビルです。
このビルが完成したのは1984年、今見てもお洒落な建物だと思います。
祖母に連れて来てもらって、初めてこのポートビルを見ました。
小学校低学年だったと思います。
友達と自転車で遊びに来た事もありました。
この印象的なシルエットと共に、ワタクシの記憶に残るランドマークです。
今日も運よく船が停泊しています。
「大成丸」、東京から来た船の様ですね。
ロードバイクでここに来るのは三度目、過去二回は海洋学校の練習船と帆船が来ていました。
帆船の時は式典をしていて、ブラスバンドが「双頭の鷲の旗の下に」を演奏していましたよ。
このブログで記事にしましたが・・・・消えてしまいました。(泣)
あぁ、本日も晴天です。(嬉)
今回の目的はここに停泊する記念艦「南極観測船ふじ」を見る事ですが焦る事はない・・・・天気もいい事ですしゆっくり行きましょう。
噴水が涼しげでいいですねぇ。
シャチとイルカ。(笑)
面白い形の場所なので、思わずウロウロしてしまいます。
かつてイタリア村という商業施設がありましたが・・・・一瞬で消えてしまいました。
この辺りはその名残です。
それでは、目的の南極観測船を見に行きましょう。
記念艦「南極観測船ふじ」
見えて来ました、あれがふじです。
ふじの前にはタロとジロの像、高倉健さんの映画のあの二匹です。
一年間もの間どの様にして生き残ったのでしょう、ものすごい二匹ですね。
此方はふじの主軸とプロペラ。
そして錨も展示してあります。
鎖もぶっといですねぇ。
此方は雪上車です・・・・うーん、カッコいいなぁ。
雪上車の内側です。
ふじは日本の二代目南極観測船、そして海上自衛隊所属の日本初の砕氷艦です。
1965年7月15日竣工、1984年4月11日の退役までの間に行動日数2869日、輸送人員800人、輸送量8529.5t、そして氷海でのチャージング回数は23416回だそうです。
ワタクシ、あまり艦船に明るくないので砕氷艦は艦体が広いくらいしか分かりません。
きっとこの艦首の形状も独特なものなのでしょう。
身近な場所で貴重な砕氷艦の実物が見られるというのは幸せなことです。
サンダルに履き替えて早速乗艦します。
ふじに乗るのはこれで二度目、一度目は祖母と一緒に入りました。
小さい頃すぎて内部の記憶は残っていませんが、連れて来てもらったという記憶はしっかり残っています。
それと・・・・なんか人形が怖かった記憶が・・・・あります。
入場料は大人300円、乗船証明書というものを頂きまして・・・・ワタクシ8736197人目なのだそうです。
祖母と来たあの時は何人目だったのでしょうねぇ。
アヒルノヒカリ、只今「南極観測船ふじ」に乗艦いたしますっ!!(敬礼)
足を踏み入れた先は食堂でした・・・・はっ!?
怖かったのはこれか・・・・蝋人形で再現された各部屋の様子、とあります。
視界の隅にフッと入ると・・・・いい歳した今のワタクシ、アヒルノヒカリでもドキッとします。(笑)
子供には恐ろしげに写っても仕方がないですね。
正直蝋人形は無くても良いかなと思いますが、まあ昭和のセンスということで・・・・。
この扉の形状にはどんな意味や効果があるのでしょう?
あぁ、この狭い通路・・・・たまりませんねぇ。
そしてこの天井を這う配管とダクト・・・・良いですねぇ、良いですねぇ。
展示品・・・・金色の大きいのは当時のコンパスだそうですよ。
壁のこの基盤類も・・・・実に良いわけなのです。
壁には荷物運搬用のローラーが付いています。
すぐにパーンと降ろしてポーンと広げられる作りになっています。
そしてこの扉のつくり・・・・いやぁ良いですねぇ。
此方は随分密閉度が高そうな部屋ですね・・・・あぁ、開けてみたい。
寄港地記念の盾、カッコいいわぁ。
第2電信室、扇風機が付いていますね。
此方は売店だそうです、「酒保」と書かれているところに海軍感を感じます。
どれ位の広さなのでしょう、気になりますね。
こういう階段・・・・タラップを登りたくて仕方がないわけなのです。
第13士官寝室・・・・士官寝室?
ベッドが・・・・意外と小さいなぁ。
此方にも扇風機・・・・まあ寒いのは南極であって、行く途中は暑いわけですね。
此方は当時の消火剤だそうです、消化器は・・・・現在のものですよ。
このゴチャゴチャ感が好きです。
第5士官寝室、赤いカーペットが無いので先程の寝室の方が階級が上なのかもしれませんね。
第7士官寝室、あの柱のようなアレは何でしょうね?
艦の構造物でしょうか?
暖炉っぽく見えますがそんなはずは無い・・・・とても気になりますね、あぁ開けてみたい。
順路は下層へと続きます。
この階段は博物館化の際に作り直したそうで、本物はかなり狭くて急だったとのことですよ。
当時の消化器かと思ったら、なんと医療用の酸素と麻酔ガスのボンベだそうです。
麻酔ガスは笑気と書くのですね、初めて知りました。
そしてボンベの向かいは医務室・・・・やっぱり人形はちょっと怖いですよねぇ。(苦笑)
なんでもここで盲腸の手術を行った事もあるそうです。
摘出した盲腸はどうしたんでしょう、まさか・・・・魚の餌!?
此方は理髪室・・・・回転灯が笑いを誘います。
理髪師は乗艦していなかったそうで(そりゃそうだ)、手先が器用な乗組員が切っていたそうです。
なんでも出港前に特別訓練を受けるそうで腕は確か・・・・との事です。
特別訓練を受け、腕は確かな蝋人形。(笑)
予約制で洗髪と髭剃りは無し、そして無料だったそうですよ。
2017年にこの理髪室が全国理容衛生同業組合連合会から理容遺産と認定され、この艦内で認定証授与式が行われたそうです。
理容遺産・・・・。(笑)
此方は当時の懐中電灯・・・・とても懐には入りきりません。(笑)
とにかく、片っ端から開けてみたいわけです。
此方は庶務室、そして隣りは会計室でした。
此方は先任海曹寝室、約十人の居室で3段ベッドが5台に机が2つ、そして棚とロッカーとテーブル、奥にトイレと浴室があるそうです。
先程の士官寝室にはトイレと浴室はありましたかね?
見た感じ無さそうでしたが・・・・あえて寝室内ではなく士官専用の浴室が別に場所にあるのでしょうか?
あぁ、開けてみたい・・・・。
階段の上もこのタイプの扉なのでしょうが、押し上げるだけで開くのでしょうか?
どれくらいの重さなのでしょう?
その辺りを是非とも体感したいのですが・・・・。
此方にはホースが設置してありますね。
おっ、やって来ました居住区・・・・ベッド小さいなぁ。
3段ベッドになっていますが、この一番下・・・・かなりキツそうです。
ほぼ添い寝・・・・。(笑)
海上自衛隊所属の艦艇とはいえ戦闘艦では無いわけですから当時の他艦に比べて、これでも居住性が高い方だったのだろうと思います。
ワタクシの陸上自衛隊新兵時よりかなり狭いベッドです。
非常に不自由そうに見えますが、苦楽を共にし同じ飯を食い・・・・周りと仲が良くなればこれはこれで楽しいものですよ。
日本初の砕氷艦の乗組員としての誇りもあったでしょうから、当時ここを使っていた隊員たちは特別不満もなかった事でしょう。
・・・・そしてこの居住区に不意に現れたのはっ!
なんとガラス張りの吹き抜けから見下ろせる機関室!!
博物館化する際にぶち開けたのでしょう、なんとも粋な演出ですね!!
通常のディーゼルエンジンではなく「直流ディーゼル電気推進方式エンジン」とのことでディーゼルで発電して電気の力でスクリューを回すというものとのことです。
ポルシェティーガー的な感じでしょうか?(笑)
氷が厚くて割れない時は200m程後退して最大馬力で氷に体当たりしながら乗り上げ、艦の自重で氷を砕くのだそうです。
これをチャージング航法、ラミング航法と呼ぶそうですよ。
この電気推進方式は前身後退を何度も繰り返す船の運航に適したエンジンなのだそうです。
最大馬力で体当たり・・・・。
氷に乗り上げる・・・・。
どれ程の音と衝撃、どれ程の傾斜なのでしょうね。
「総員、衝撃対応姿勢ーーーっ!!」などと艦内放送でも流れたのでしょうか?
あぁ、一度で良いから体感してみたいものです。(切実)
この通路はかなり狭かったです、チビのワタクシでも高さに余裕がありませんでしたよ。
第12観測隊員寝室、観測隊員ということは自衛官では無く民間人ということでしょうか。
第6観測隊員寝室。
えーっと、進撃の巨人かな?
順路は更に上層部へ・・・・。
階段途中に・・・・当時掲げた旭日旗がっ!
あぁ、カッコいい!!
そしてその隣には、ジャイロと名の付くものがズラリ・・・・残念ながらワタクシにはどんなものなのか分かりません。
帰宅後調べたところ、ジャイロとはコマの回転を利用したナビゲーションシステムということです。
階段を登った先は、広い展示スペースになっています。
歴代の南極観測船の模型が展示してあります。
此方は初代南極観測船の「宗谷」です。
1936年起工のソ連向けに造られた耐氷貨物船で、太平洋戦争を生き残った「奇跡の鑑」と呼ばれていたそうです。
・・・・戦前の船で南極に行ったのか、どんだけチャレンジャーなんだ!?
所属は海上保安庁だったそうですよ。
此方が本艦、「ふじ」
3代目南極観測船「しらせ」
そして現役の最新鑑「二代目しらせ」
写真では分かりにくいですが、各艦の大型化が凄いです。
当時使用された雪上車、表にあったものより古そうですね。
足回りがカッコいいですねぇ・・・・う〜ん、素晴らしい。
右が日本の氷、そして左が南極の氷です。
南極の氷は雪が押し固められて出来るそうで、このように白くなるとのことです。
大気が閉じ込められているので、水の中に入れるとパチパチと音がするそうです。
南極の石。
順路に沿って進むと・・・・。
ヘリポートに出ましたよ。
ヘリポートからパシャ、彼方は水族館。
そして観覧車です。
なるほど、あの広い展示スペースはヘリの格納庫だったというわけですね。
このふじは海上自衛隊所属の艦艇で初めてヘリコプター運用能力と持った艦でした。
ワタクシが生まれる前に起工竣工したので分かりませんが、もしかしたらまだ国防というものへの風当たりが強かった時代だったので無いでしょうか?
それで戦闘艦ではなく先ずは南極観測船にヘリ運用能力を持たせ、前例作りと運用ノウハウを得ようとした・・・・どうでしょう?
理由はどうあれ、ふじは砕氷艦、輸送艦、観測艦、そしてヘリコプター母艦という多目的砕氷艦となり当時他国では南極観測隊は複数艦で編成するのが一般的だった中、単艦運用出来る珍しい艦となりました。
ふじで運用されたヘリは三機、観測用のベル47G2A一機と輸送用のシコルスキーS61二機だったそうです。
此方はシコルスキーS61、現代のヘリに比べると細身ですね。
このシコルスキーは三菱がライセンス生産したものなのだそうです。
メインローターの基部が、なんだものかすごい事になっています。
パネルがあって中が見難いのが残念ですね。
テールローターです。
車輪。
おぉ、こんな所にミラーが付いているのですね。
格納庫上の構造物・・・・ここまでくるとワタクシにはあれらが何か全く分かりません。
格納庫の横から艦首側へ歩きます。
何でしょう、ブイ?
内火艇、残念ながら下からしか見る事が出来ません。
あぁ、このタラップを登って上に行く事が出来たらなぁ・・・・。
内火艇の間からポートビルが見えます。
甲板上の排水溝。
非常に残念ながら進めるのはここまで、艦橋や艦首には行く事が出来ません。
ホームページを見るとブリッジ内や艦首に見学客が入っている写真が掲載されています。
老朽化の問題でしょうか、令和現在は入れません。
そして残念ながら記憶に残ってはいませんが、恐らく祖母に連れてきてもらった当時は入ったんだと思います。
・・・・あぁ、名残惜しいですがそろそろ退艦の時間です。
ありがとうございました。
艦尾です、ヘリポートがはみ出ているのが見えますね。
・・・・そういえば艦長室とかもみたかったですよね。
ワタクシ、アヒルノヒカリはおばあちゃんっ子でした。
祖母は本当に色々な所に連れて行ってくれました。
インターネットなど無い時代に、ワタクシが楽しめそうな所を色々と探してくれていたのでしょう。
祖母には本当に感謝です。
・・・・おばあちゃん、ありがとう。
ところで、現役時代のふじの母港は横浜だったそうです。
その横浜初め、日本全国の数ある港の中でどうして名古屋港での展示になったのでしょう?
帰宅後調べましたが、これについては分かりませんでした。
ご存知の方、是非ともご教示くださいませ。
帰りに偶然見ました、名古屋マリンライダー。
最近新しく始まったもので、これに乗って周辺を観光した後このまま海に入って遊覧も出来るというものです。
水陸両用バスと言ったところですね。
・・・・シュビムワーゲンかな!?
記念艦「南極観測船ふじ」は流石にもう人気のスポットではありません。
ですが、大人も子供も・・・・男子なら誰でも何歳でも楽しめる貴重で素晴らしい博物館ですよ。
親子で水族館の帰りにでも・・・・如何ですか?