城の守り神は村の守り神になりました 名古屋市山神社
皆さん、お疲れ様です。
アヒルノヒカリでございます。
不安定な天気が続きますね、いかがお過ごしですか?
山神社
晴れマークと雨マークが付いている怪しい本日・・・・ゲリラ豪雨にビビりながら山神社という神社を訪れます。
創建期 1573年
旧社格・等級等 不明
祭神 大山祇神 宇迦之御魂神
住宅地の中にある小山に三つの神社があります。
山神社、お福稲荷社、そして白龍社・・・・最初から三つあったのではないそうです。
元々の神社は山神社、祭神の大山祇神とは山の神様なのだそうです。
とても良い雰囲気の神社ですね。
二つある鳥居はお福稲荷社と白龍社のものです。
山神社はここから入れるのでしょうか?
百度石ですね。
あぁ、ありました!
真っ直ぐ行くと山神社、右へ行くとお福稲荷社です。
今度は左に白龍社・・・・小山の上の神社なのでこういった造りになっているのでしょうが、とても良い感じですね。
戦国時代、この辺りには安井城という城があったそうです。
城主は安井将監・浅野長勝・・・・浅井長勝は豊臣秀吉の正室ねねの養父なのだそうですよ。
ルーツは南北朝時代にこの地の領主になった犬飼頼隆・・・・両名は同族で有り共に織田信長に弓衆として仕えていたとの事です。
そして一族は豊臣政権で権勢を誇った五奉行の一人、浅野長政に繋がります。
その安井城の鬼門を守る守護神としてこの山神社が創建されたそうです。
それが1573年頃の話との事、先日このブログで記事にした桶狭間の合戦が1560年・・・・調べたところ1573年とは姉川の合戦の3年後です。
その後所領が現在の稲沢市に変わり城は廃城になりました。
そして城の守り神はそのまま村の守り神としてこの地に残ったという訳です。
こういう事は良くある話なのでしょうか・・・・ワタクシはとても良い話だと思います。
此方は浄め石。
小山の中央の戦国時代からある山神社、城を・・・・そして村人を見守ってきた山の神様です。
明るくもなく暗くもない・・・・良い雰囲気です。
早く戦争が収まりますように・・・・。
お福稲荷社
先程の別れ道に戻ってお福稲荷社側に行ってみます。
お稲荷様と言えばこれですよねぇ。
いつどこで見ても良いものです。
山神社と同時期なのか定かではありませんが、如何やら元々この地に小さな稲荷社があった様です。
それが昭和の初め頃、京都伏見の稲荷大社から勧請してお福稲荷社と名付けられたとの事です。
これは何でしょう・・・・重軽石?
小山の麓、隣は民家、それでもやはり光加減というか色合いというか・・・・何か良い雰囲気です。
早く戦争が収まりますように・・・・。
お社の横から奥に向かって細い道が続いています。
別の出口でしょうか?
鳥居を潜って出たいので一旦引き返したのですが、何やら思うところがあって進んでる事に・・・・。
・・・・あれは?
出口ではない??
うおぉぉぉ、これは??
境内にお稲荷様のお社がふたつ???
・・・・しかし、これは!?
凄く神々しいというか、写真ではなかなか伝わらないかも知れませんが異世界感が物凄い・・・・少々恐怖を感じる程です。
・・・・これ以上写真を撮れません。
一刻も早く戦争が収まりますように・・・・。
引き返さなくて良かった・・・・参拝出来て良かったです。
白龍社
中からも行けますが、いったん表に戻り白龍社を参拝します。
折角ですから鳥居を潜って参拝したいのです。
此方の白龍社もやはり昭和初期、静岡県の御前崎から勧請して建てられたそうです。
参拝後に知ったのですが殺された白蛇の祟りを鎮める為に建てられたという話があるとかないとか・・・・。(ガクブル)
上には先程の山神社。
そして此方が白龍社です。
早く戦争が収まりますように・・・・。
戦国時代と昭和初期・・・・とんでもない時間差があるのにこの一体感は如何でしょう。
不思議ですよね。
そして少々重いというか神秘的というか・・・・こういったミステリアスな雰囲気の神社も良いですね、ワタクシは好きです。
全てのお社にはお酒がお供えされていました。
城の守り神から村の守り神へ・・・・そして今も地元の方々に大切にされている神社です。
神社の前にはお福市場・・・・今はもう閉まっています。
残念な事ですが、なかなかこういった商店街は残っていませんよね・・・・。
お福という名前が人気で、戦前は多くの参拝客が訪れていたそうです。
付近には安井の名が付くアパートもありました。
地名として残っている安井氏も地元の人々に親しまれていたのでしょう。
皆さんの身近にはどんな神社がありますか?