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松坂屋初代社長の別邸と闇堕ちアヒルノヒカリの毒舌 名古屋市揚輝荘 前編

松坂屋初代社長の別邸と闇堕ちアヒルノヒカリの毒舌 名古屋市揚輝荘 前編

 

皆さん、お疲れ様です。

アヒルノヒカリでございます。

今回の記事はお蔵入りにしようかと思っていたものです。

当ブログは常にポジティブに明るく楽しく、そして清く正しく美しく(笑)をモットーにしております。

誰が見るかも分からないインターネットに載せる記事として、誰が見ても良い気分になって頂ける様それなりに気を付けて活動しているつもりでございます。

批判をすることはありますが、意味なく誰かを誹謗中傷したり訪れた先で見たものを茶化したり馬鹿にしたり貶めたりして笑いをとるやり方をワタクシは好みません。

しかし・・・・これらがやや不自然な、いい子ちゃん記事である事を否定出来ません。

ワタクシ、アヒルノヒカリは全く、全然、ちっとも、これっぽっちも、いい子ちゃんではありません。

ホンマ、大人は汚いでぇ的な黒い腹に毒を溜め込んだ、感情の生き物である人間の一人なのです。

今回は文化的には貴重であるらしい建造物の写真と共に、器量の小さいアヒルノヒカリの闇堕ち的な毒舌を笑い飛ばして頂けると幸いでございます。

早速チクリと毒を出しました・・・・まぁ、たまには許されます・・・・かねぇ?

 

揚輝荘北園

ここを訪れることになったのは、全くの偶然です。

桜巡りとお寺巡り 名古屋市覚王山

のんびりかつ無計画に桜とお寺を求めてウロウロしていた時に辿り着いた・・・・辿り着いてしまったのです。

ん、何ここ?

如何にも高そうなマンションの入り口のような、違うような・・・・。

どうやらここはかの有名なデパート、松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民さんの別邸との事です。

うーん、どうしよう?

今回の趣旨とは違うし日を改めた方が良いのでは?

日本庭園は下調べなしで見ても良さが分からないのでは?

近代富豪の家・・・・ワタクシの好みではないのでは?

正直ワタクシ、アヒルノヒカリはあまり乗り気ではなかったのです。

ですが・・・・入り口で突っ立っていたワタクシに感じの良いスタッフさんが「無料ですし、どうぞ、どうぞ。」と声をかけて下さった・・・・かけてしまったのです。

そしてワタクシも誘って下さるならばとお言葉に甘えて・・・・しまったのです。

悲劇(喜劇)の始まりです。

中はやはり綺麗な庭園です。

はっ、これは土塀?

これは良いですねぇ。

いやぁ、良いものが見れました。

竹も素敵ですね。

あの土塀は岐阜県にあった500年前の民家を移築したものなのでそうです。

どうやら今は土塀しか残っていない様です。

その正面には、此方は倉庫でしょうか?

板が綺麗に貼ってあります。

色の褪せ具合が良いですね。

そして別荘、階段が素敵ですね。

お金持ちの庭園ですから、池は当然ありますよね。

あちらが正面の門ですか、土塀に惹かれて順路を外れてしまった様です。

・・・・って神社!?

自分の家の庭に神社造ったのか?

ここでワタクシ、アヒルノヒカリの心に少しだけ闇が生じます。(笑)

まあまあまあ・・・・この石の門、とても綺麗じゃありませんか。

神社は置いておいて、別荘を楽しもうではありませんか。

この建物は伴華楼(ばんがろう)というそうです。

昭和4年に尾張徳川家から移築した茶室の付いた座敷に洋室を新築してドッキングした建物なのだそうです。

新築の洋風様式なのでしょう、この石の色合いが良いですね。

揚輝荘は大正7年から昭和初期にかけて伊藤次郎左衛門祐民によって建てられた迎賓館だそうです。

完成時には約一万坪の敷地内に三十数棟の建物と池泉回転式庭園があったとの事です。

かつては各国の要人や皇族、華族、文化人が往来する社交場として華やぎ、アジアの留学生が寄宿した国際的なコミュニテーの場でもあったそうです。

和洋文化の合体的柱という訳でしょうか?

面白い造りですね。

・・・・あの半胸像は伊藤次郎左衛門祐民さんが生前からあったのでしょうか、それとも後世に作られたのでしょうか?

創業者がピンピン生きているうちから社内に銅像建てる会社ありますよね・・・・正直、ワタクシ好きではありません。

・・・・生前からあったっぽい感じがします。

ここでまたワタクシ、アヒルノヒカリの心にまたまた少し闇が生じました。

まあまあまあ・・・・持ち主が何を建てるかは持ち主の自由です、引き続き建物の雰囲気を楽しみもうではありませんか。

トナカイも・・・・如何にもな感じですね。(苦笑)

煙突です。

ここから薪を入れるのでしょうか?

きっとあちら側は暖炉になっているのでしょう。

暖炉も如何にもな感じですよね。(苦笑)

伴華楼はここまでです。

・・・・さて、見なかったという訳にもいきません。

当然、商売繁盛のお稲荷様ですよね・・・・。(冷笑)

適当に造った訳ではないのは分かっていますよ、大金はたいて勧請したのでしょう。

・・・・遂にワタクシ、アヒルノヒカリから毒が溢れ出します。

えぇえぇ、綺麗ですとも・・・・。

完成したこのお稲荷様を訪れた伊藤さんはどんな顔でここを通ったんでしょうね?

嬉しくてニコニコしていたんでしょうかね、それともカッコつけて澄ました顔で通ったんでしょうか?

・・・・後者っぽいわ。

毒が止まらないアヒルノヒカリ・・・・。(笑)

多神教の神々は一神教のそれとは違い、人々に近い場所にいて常に寄り添ってくれる存在です。

ですから古代ギリシャローマの神殿も日本の神社も、誰にでも開かれた気軽に入れる場所なのです。

しかしこの神社には伊藤さんが選んだ人しか入れない・・・・伊藤さんは一神教の唯一神か何かですか?

お稲荷様は大好きなのですが、いつもは遠慮して遠巻きに撮影します。

ですが、今日は思いっきり接写しちゃいます。

パシャパシャ。

・・・・。

もう何見ても驚かんわ・・・・と思っていた時期がワタクシ、アヒルノヒカリにもありました。(笑)

如何にも的な大きな池と橋・・・・。

・・・・なんじゃ、ありゃっ!?

橋?水門??やりすぎだろっ!?

ここは立ち入り禁止になっていました。

白雲橋というそうです。

修学院離宮の千歳橋の写しといわれているそうですよ。

左様でございますか・・・・。

えぇえぇ、立派ですとも・・・・。

如何にも的に泳ぐ錦鯉。

如何にも的に・・・・いや、鴨は勝手に住んでいるのでしょう。(笑)

この石の色合いが・・・・何だかやっぱり綺麗なんですよね〜。

如何にも的にある池のほとりの茶室。

三賞亭、というそうです。

えぇえぇ、美しいですとも・・・・。

何でも伊藤家は高邁な茶人を名古屋に呼び寄せ、名古屋における茶道の発展に貢献したそうです。

えぇえぇ、有り難いことですとも・・・・。

15代伊藤次郎左衛門祐民も名古屋の茶道の発展に大いに尽力したそうです。

ただ15代祐民の場合は単なる遊びでは無く、茶道を通じて財界人との融和を図ることに目的があったと言われているそうです。

・・・・この文章はこの三賞亭内の解説看板に書かれていた文を抜粋しています。

一方で茶道の発展に尽力と書きながら、もう一方で単なる遊びだの金持ち同士仲良くなる為だの書いちゃってますが・・・・大丈夫か?

はっきり言って、解説文一つとっても美しくないのだよ。(怒)

アヒルノヒカリから毒がダダ漏れです。(苦笑)

そしてワタクシ、アヒルノヒカリにトドメを刺したのは池の中央にあるこのスペースです。(笑)

かつてここには八丈島から移築された穀物倉庫をそのまま使った四阿が建っていたそうです。

四阿、東家(あずまや)とは庭園等に展望、休憩を目的とした簡素な建物の事なのだそうですよ。

・・・・岐阜、尾張徳川家、洋風建築、神社、修学院離宮の千歳橋、錦鯉と茶室、そして八丈島。

どうもこの場所が好かない理由が分かりました。

金にモノを言わせて買い漁った高級食材をひたすらぶち込んだ下品なごった煮・・・・ここはそんな感じがしませんか?

ここには主義主張や思想など感じられない・・・・感じられるのは唯の我儘と贅沢、まるで小学生が放課中に落書きした「ボクが考えた最強の別荘」ではありませんか。

他県の方からすると、名古屋人は派手好きで見栄っ張りに映るそうですね。

十年以上前に勤めていた会社の上司が関東から出向してきた方で、

「君は違うけど、どうも名古屋の男は見栄だけで中身が空っぽだね。」

等と言われたことがあります。

ワタクシは、

「ワタクシは名古屋人では無く軍人です。」

等と適当に答えておいたものですが・・・・こんな場所を有り難がっていては、そう思われても文句は言えない。(怒)

・・・・書きたい放題書いてしまいましたが、実はここ揚輝荘北園を見学した時点ではこの文章程に闇堕ちしたアヒルノヒカリでは無かったのです。

好きではありませんでしたが、ここまで毒々しい気持ちでは無かったのです。

北園という事は・・・・そう、この揚輝荘には南園もあるのです。

その南園が・・・・酷かった。

酷かった南園の影響をモロに受けて、この北園の記事も毒に染まってしまったのです。

次回はその地獄の南園を・・・・文化的にはとっっても貴重らしい建造物のある南園をお届け致します。

 

もうお腹いっぱいという方は、是非ともここでストップして下さいね?

 

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