魚市場跡と謎の神社群 名古屋市熱田魚市場跡

皆さん、お疲れさまです。
アヒルノヒカリでございます。
本日はかつての魚市場と気になる神社群を訪れます。
熱田魚市場跡

この夏三度目の七里の渡しです。(笑)
本日は港跡である七里の渡し付近にある熱田魚市場跡を訪れます。
随分前に堀川沿いを走った時に見つけました。
あの頃は「へ〜、こんな所に魚市場があったんだ〜。」と思う程度でした。
あれから7〜8年経った今、多少なりとも知識が増えた今・・・・魚市場跡付近の神社群にちょっと疑問を感じています。
それでは行ってみましょう!
熱田魚市場跡

此方は熱田魚問屋モニュメント。
かつて此処にあった魚問屋の保存部材を活用して庇の一部をイメージして造られたモニュメント。
明治時代の建物の部材を使っているとの事です。

柱に残る傷は手鉤の跡、明治時代の傷跡です。

ちょっと工事中ですが、かつての魚市場は現在公園になっています。


公園の奥には堀川。



熱田魚市場の歴史は古く、室町時代には此処から信長がいる清洲城に魚を運んでいたのだそうです。
信長の時代という事は、当時堀川はまだ無かったという事ですね。
陸路で魚を清州まで運んだそうで、此処から清州だとロードバイクで約一時間の距離です。
魚問屋が設けられたのは江戸時代に入ってから・・・・市は朝夕二回開かれ大変賑わっていたそうですよ。
現在の港である名古屋港訳は約5km南、随分広い範囲を埋め立てたものですねぇ。
神社群
神社群などと勝手に書きましたが、この熱田魚市場の道端には小さな神社が密集しています。
とにかく先ずは見ていきましょう。

一番南にあるのは迦具土社。
祭神は迦具土命です。

続いて秋葉神社。
祭神は迦具土命・・・・ですが明治初期の廃仏毀釈前は秋葉権現です。

更に隣に秋葉神社。

そのまた隣に秋葉神社。

真隣に水天宮。

そして更なる秋葉神社・・・・。
せいぜい百メートルちょっとの一本道沿いにこれ程秋葉神社が密集しているのは何故でしょう?
そして最大のミステリーは・・・・秋葉神社の間にポツンとある水天宮!!(困惑)
帰宅後調べました。
海運や大漁にご利益がある神社としては住吉社が有名、そして海上安全は金刀比羅社などです。
・・・・が、港の隣りにあった熱田魚市場にあるのは迦具土社と秋葉神社・・・・迦具土命や秋葉権現は火の神様、仏様です。
その火を祀る神社が魚市場に五つも密集しているのは何故なのでしょう?
迦具土社と秋葉社には防火のご利益があります。
試しに「熱田魚市場 火事」で検索してみましたが、大火事の記録は見つかりませんでした。
そもそも防火の神社を五つも建立する程、魚市場に火元があったとも思えません。
かつて七里の渡しから此処ら一帯には東海道一の宿場だった宮宿がありました。
もしかするとそちらに対しての防火祈願だったのかもしれないと書かれた記事を見つけました。
尾張藩主が防火の神を祀ることを奨励した為、名古屋城下にも秋葉権現を祀る祠が沢山あったそうですよ。
それでもこれ程の数の秋葉社と迦具土社が密集しているのには何か意味があるのでしょう。
そしてその意味は結局のところ・・・・不明です。
それから・・・・そう、水天宮!
壇ノ浦で入水した安徳天皇や平家一門を祀る神社、愛知県ですと篠島に大きな水天宮があります。
ところが此処からすぐ近くの熱田神宮の隣りにある誓願寺、この寺院が源頼朝出生地とされているんですよねぇ。
頼朝の父義朝が平治の乱で敗れた後に逃れてきたのも知多半島、ここで家臣の裏切りにあい討ち取られました。
此処らは源氏の勢力下だった訳です。
源氏の勢力地、しかも頼朝出生の地の目と鼻の先に平家を祀る・・・・それも源氏に討たれた平家の人々を祀る水天宮があるというのはどういう事なのでしょう?
創建年は不明ですが、当然壇ノ浦の合戦後に建立されてのでしょう・・・・頼朝出生前はあり得ない。
源氏に対しての当て付けや・・・・あるいは呪詛の類いだったとしたら流石にもう少し人目に付かない所にしそうなものですが、ここは大勢の人々が行き交う宿場と魚市場ですよ??(苦笑)
仮に宿場や魚市場が整備される以前の鎌倉時代や室町時代が創建年だったとしても・・・・それでもすぐ近くに熱田神宮がある以上、人気がない場所だったとは考え難い。
これに関しては情報を見つける事が出来ませんでした。
まさに神社ミステリーですね。
皆さんの町にはどんなミステリー神社がありますか?