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城跡とその東西を守護する八幡社 名古屋市北篠八幡社、西八幡社

城跡とその東西を守護する八幡社 名古屋市北篠八幡社、西八幡社

 

皆さん、お疲れ様です。

アヒルノヒカリでございます。

神馬の像を求めて名古屋市瑞穂区の東八幡社を参拝しました。

「東」と付いているという事は「西」もあるだろう。

「東西」があるならその中央にも何かあるだろう。

その予想は的中しました。

中央に城跡と八幡社、そしてその東西を守護する八幡社を発見!

 

西八幡社

先ずは西を守護する西八幡社。

小山の上にある様です。

階段横に石碑、残念ながら理解出来ません。

人の名前と・・・・何かの発明の記念碑・・・・なのか?

中間に鳥居と狛犬。

残念ながら手水社に水は無し。

本殿。

口の中が赤い狛犬。

早く戦争が終わりますように・・・・。

本殿左側。

塀の向こうに境内社がある様です。

金刀比羅宮・・・・またしても「宮」ですね。

そして多賀大社・・・・大社!?

村殿右側も同じく塀の向こうに境内社。

秋葉神社と西山神社。

これも「東八幡社」と同じくお社ではなく、すべて神社ですね。

西山神社というのは珍しいです。

神社の奥には寺院がある様です。

小山の下はびっしり住宅地。

この立ち入り禁止の道がどこに降りるのかとても気になります。(笑)

北側にも出入り口。

降りた先にこの案内板。

どうも国の重要文化財になっている銅鐸がこの地で発見された様です。

現在その銅鐸は神戸市にあるとの事ですよ。

東西ともに境内社の存在が気になる八幡社ですね。

ありがとうございました。

 

北篠八幡社

さあ、いよいよ中央の城跡とそこにある八幡社を参拝しましょう!

神社は風水の思想から南側に正面口があります。

・・・・が、南側には上に登れる道がありません。

確かに頂上に建造物が見えるのですが・・・・うーん?

この階段は幼稚園に繋がっている様で柵が閉まっています。

境内の門が見えているのですが・・・・うーん?

反時計回りに小山を探ると・・・・西側に入り口がありました!

住宅が迫る狭い小道を登っていきます。

登った先には・・・・これはお寺では?

掠れていますが「山」の文字が読めます。

お寺ですねぇ。

間違いなくここは寺院です。

敷地内にお社があるパターンかと探してみますが・・・・。

虎!?

先ほど見えていた門。

門の先は幼稚園になっています。

正門ですが幼稚園関係者でなければくぐれない様です。

手桶・・・・まごう事なくお寺です。

地図上には八幡社が表示されていて、入り口にも八幡社と書かれていたのですが・・・・うーん?

諦めて帰ろうとすると・・・・。

あった!!

ちょうど登り方向からは死角になりますね。

目的の北篠八幡社。

ちょうど小山の頂上にポツンと佇んでいます。

鳥居はありません。

早く戦争が終わりますように・・・・。

東西八幡社に比べるとこじんまり・・・・。

本殿も小さいです。

これは・・・・とても立派な木ですね!

写真を撮り忘れてしまいましたが、もっと大きな木の切り株もありました。

小山の山頂に小さな神社と立派な御神木、とても良い雰囲気の場所です。

城跡についての案内板等はありませんでした。

ありがとうございました。

 

帰宅後調べました。

先ずは先日記事にした東八幡社。

先日は棒術にのみ触れました・・・・創建年は不明、祭神は誉田別尊です。

此処ら一帯はどうも古くから人が住んでいた様で、縄文時代の遺跡や古墳時代の古墳が残っている様です。

戦国時代に地図中央の城跡には中根城があり、この八幡社は城の守護社だったそうです。

ただ、東八幡社という社名になったのは明治時代に入ってからの様です。

字大根山にあった白山権現社を八幡社に合祀した折に、西にも八幡社があるからという理由で東八幡社と名が改められたとの事です。

元は江戸時代にあった中根村の氏神が祀られていたそうですよ。

続いて西八幡社。

同じく創建年は不明、そして祭神は誉田別尊です。

この神社も中根村の枝郷である仁所の氏神が祀られていたそうで、戦国時代は中根城の守護社だったとの事です。

縄文時代から人が住んでいたこの地域・・・・重要文化財の中根銅鐸はこの神社のすぐ近くで発見されたのだそうです。

発見されたのは明治時代だそうです。

銅鐸は500個程発見されているそうですが、そのほとんどが西日本なのだとか・・・・この地で発見された銅鐸というのはとても重要な存在なのでしょう。

そして階段を登っていくこの神社、ここも古墳ではないかという説もあるそうですよ。

古墳ならすぐ分かりそうなものですが・・・・どうなのでしょう?

中根城も八幡社もここが古墳だから建てられた、戦国時代では常識だったがそれが忘れ去られ記録も失われたのでは?・・・・というのが古墳説だそうです。

例えばピラミッドも建造方法や建造理由も忘れ去られた訳ですし・・・・ロマンだけで片付けられない話ですね。

最後に北篠八幡社。

創建年は1725年(江戸時代中期)という説があるそうで、祭神は北篠八幡大神です。

寺院は観音寺、掠れて読めませんでしたが「北条山」の山号で、北条八幡社とも呼ばれるそうです。

戦国時代には中根城があり城主は織田信照、信長の弟だそうです。

茶人、有楽斎の名で知られる長益や今川氏に通じて叛逆した信行は知っていますが、恥ずかしながら織田信照は初めて知りました。

信照は本能寺の変後に信長の次男信雄配下で小牧長久手の合戦に参戦、一宮市にある奥城を守備するも特に活躍する事もなく秀吉に敗れて捕虜になったそうです。

その後許され沓掛城の城主になったとの事です。

沓掛城は一度訪れました。

今川義元が桶狭間の合戦当日に滞在した城ですね。

信長のインパクトが強すぎるからか、どうも弟達は武将としてパッとしないですね。

東八幡社にあった石碑の見当流棒の手はどうもこの織田信照が奨励したらしいですよ。

さて・・・・観音寺が創建されたのは1605年(江戸時代初期)だそうです。

写真の通り、八幡社はほぼ観音寺の敷地内・・・・江戸時代中期創建説ですと観音寺が八幡社を祀ったと考えるのが自然です。

神仏習合と言えばそうですが、神社の敷地に新宮寺としてお寺を建てるパターンが殆どの様です。

お寺を建てた百年後に敷地内に神社を・・・・祀るか??

創建年を戦国時代以前、中根城の守護社だったと考える説もある様です。

こっちの方がしっくり来ます。

写真を撮り損ねた八幡社にある大きな切り株も、樹齢400年で中根城内にあった木だそうです。

ただ・・・・。

神社庁に祭神は北篠八幡大神と登録されているそうです・・・・誉田別尊では無く。

八幡社の祭神は勿論誉田別尊です。

北篠八幡大神なんて初めて聞きますし、名前がこの神社ピンポイント過ぎです。

「北篠」=「北条」でしょうから観音寺が関係しているのも容易に伺えます・・・・これはミステリーですねぇ。

 

皆さんの町にはどんな東西を守護する神社がありますか?

 

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